学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

小木町立深浦小学校立野分校

■学校データ

創立:1912年

・小木町立深浦尋常小学校岡之平分教場として開校。

・1941年に小木町立深浦国民学校岡之平分教場と改称。

・1947年に小木町立深浦小学校岡之平分校と改称。

・1949年に現在地に移転。

・1952年に小木町立深浦小学校立野分校と改称。

閉校:1985年

コメント:

佐渡遠征その52。

校舎があった場所に閉校記念碑が建てられているのだが、びっくりするぐらい「本当にここに学校あったの?」と思うぐらいうっそうと木と草が多い茂っている。

閉校から30年ほどでここまでになるのか?間違ってるんじゃないか?と思ってしまうが、ちゃんと閉校記念碑は建てられている。というかこれがなければ絶対に場所は特定できなかったと思う。近くには集水マスがあるが、これは閉校後に作られてものだろうか。

よくよく古い地図と見比べてみると、目の前を通っている道路は拡張されたようで、元の学校があったところに一部かかっているようだ。そのため校舎跡地がすごく狭いように感じたのかもしれない。

ちなみにこの近くに民家は全くなく、道を下った海沿いに集落が現れる。「立野」という名称については詳しくわからなかったが、学校を建てるにあたり、立地について二つの集落が論争した結果、最終的に二つの集落の中間である「立野」と呼ばれるところに建てたことから名づけられたらしい。確かに地図上で見るとこの辺りはちょうど集落の境目になっている。

f:id:abolished-school:20190615160414j:plain

続きを読む

佐渡市立深浦小学校・小木町立深浦中学校

■学校データ

創立:1892年

・宿根木村立宿根木尋常小学校犬神平派出分教場として開校。

・1908年に各分教場を廃止し、宿根木小学校深浦分校が開校。

・1912年に宿根木尋常小学校から独立し、小木町立深浦尋常小学校が開校。岡之平分教場と沢崎分教場を設置。

・1941年に小木町立深浦国民学校と改称。

・1947年に小木町立深浦小学校と改称。小木町立小木中学校深浦分校を併置。

・1952年に岡之平分教場が立野分教場と改称。

・1956年に新校舎落成。

・1973年に小木町立小木中学校深浦分校が独立し、小木町立深浦中学校と改称。

・1979年に小木町立深浦小学校沢崎分校が閉校。

・1985年に小木町立深浦小学校立野分校が閉校。

・2003年に併設していた小木町立深浦中学校が閉校。

・2004年に市町村合併により佐渡市立深浦小学校と改称。

・2005年に体育館落成。

閉校:2011年

コメント:

佐渡遠征その51。

現在この施設は佐渡島の太鼓楽団「鼓童」の訓練所として使われている。撮影に伺った日もちょうど練習している途中だったので、邪魔にならないよう深く入り込んで撮影することを避けた。

本当は木造の立派な校舎があるのだが、休憩中だったりしてじろじろ見られるのが嫌だし不審者扱いされそうなので我慢した。

正面の真新しい建物が小学校体育館で、そこから左手側に伸びるのが小学校校舎、続いて中学校校舎となっていたようだ。 当初はこの小学校と中学校の間に玄関があったようだが、中学校閉校と体育館の竣工に合わせて玄関が変わったようだ。

閉校記念碑は中学校と小学校と両方並んでいる。黒い碑が校歌などが刻まれた記念碑で、ピンク色のものは校名だけが刻まれた碑となっている。小学校の校碑が「小木町立」となっているので、中学校閉校まで使われていたものなのだろう。

まったく同じ色合いとデザインなので、サムネイルだけで見ると「なんで同じものを二つ添付しているんだ?」と思われそう。

f:id:abolished-school:20190612203744j:plain

続きを読む

小木町立宿根木小学校

■学校データ

創立:調査中

閉校:1970年

コメント:

佐渡遠征その50。

建物は現在「佐渡國小木民俗博物館」として開館している。佐渡島内の現存する学校校舎では最も古い建物らしく、1920年に建てられたものだそうだ。

内部に入るには入館料がかかるが、今回は急ぎの旅だったので外観だけの撮影にした。非常に趣があり、中には当時のままの教室も残っていたりするらしい。また、右隣の体育館跡地には実物大の「千石船」が展示されている建物も作られていたりする。

玄関近くには様々なオブジェクトや記念碑などが建立されているが、肝心の閉校記念碑は見当たらなかった。この博物館は1972年に開館と非常に歴史が古く、記念碑を建てる前に博物館としての機能が先に動いたから閉校記念碑が建てられなかったのだろうか。

なお、なぜか「小木町役場」と書かれた石碑が置いてあり、最初は「ああ、昔ここが役場だったのか」と思ってしまっていたが、目の前の看板をよく見ると、合併前の小木町役場に置いてあった石碑をここに持ってきたとのことが書いてあった。

よく考えるとそうだよな。この地区に役場があるわけないんだよな・・・。

f:id:abolished-school:20190605232634j:plain

続きを読む

佐渡市立小村小学校・羽茂村立羽茂中学校小村分校

■学校データ

創立:1876年

・前身である公立第二十一番小学校西三川校小泊校が開校。同年、前身である村山校が開校。

・1877年に小泊校が独立し、公立第二十六番小学小泊校と改称。

1886年に簡易科小泊小学校と改称。村山校、椿尾校が附属校となる。

・1889年に町村合併により亀ノ背村立尋常科亀ノ背第一小学校と改称。村山校が分離独立し、尋常科亀ノ背第二小学校と改称。

・1901年に町村合併により西三川村村立尋常科亀ノ背第一小学校、西三川村立尋常科亀ノ背第二小学校と改称。

・1909年に尋常科亀ノ背第一小学校と尋常科亀ノ背第二小学校が統合し、西三川村立小村尋常小学校が開校。

・1930年に高等科を併置し、西三川村立小村尋常高等小学校と改称。

・1941年に西三川村立小村国民学校と改称。

・1947年に西三川村立小村小学校と改称。西三川村立小村中学校を併設。

・1955年に西三川村が分村し、小村小学校所在地が羽茂村と合併、羽茂村立小村小学校と改称。 小村中学校は羽茂村立羽茂中学校小村分校と改称。

・1956年に羽茂村立羽茂中学校小村分校が閉校。

・1961年に町制施行により、羽茂町立小村小学校と改称。

・2004年に市町村合併により佐渡市立小村小学校と改称。

閉校:2010年

コメント:

佐渡遠征その49。

小泊集落と村山集落のちょうど中間ということで「小村」という名前がついたようだ。合成地名だが、少し離れたところには「小村簡易郵便局」があるので、このあたりでは俗称としてよく使われているのかもしれない。

中学校は羽茂村に統合した1年後に閉校したそうだが、その校舎棟はまだ残っていて、小学校の校舎棟の右隣にくすんだ青色の壁の建物がそうだったらしい。中学校閉校後も教室やコンピュータ室などとして利用されていたらしい。ちなみにこの教室棟と校舎棟とは吹き抜け廊下でつながっている。

なお、ここを訪ねた時にグラウンドの場所をはっきりと把握していなかったため、この時は小学校の目の前を走る国道350号を挟んだ反対側の草むらのある場所をグラウンドと勘違いしていた。(一番最後の写真)

実際はこの小学校の裏側にあったのだが、草木が多い茂っていたため、グラウンドがあることに全く気付いていなかった。くやしいなぁ・・・!

f:id:abolished-school:20190528213858j:plain

続きを読む

真野町立西三川中学校

■学校データ

創立:1947年

・西三川村立西三川小学校に併置して開校。

・1950年に独立校舎を竣工し、移転。

・1955年に町村合併により、真野町立西三川中学校と改称。

閉校:2000年

コメント:

佐渡遠征その48。

木造の校舎は健在だが、グラウンドがあった位置には現在デイサービスセンターと保育園が建設されているので写真を撮る際は細心の注意を払った。

玄関向かって右側が体育館、左側が校舎棟となっているが、いずれにもコンテナボックスのようなものが積まれていたので、今はどこかの企業の倉庫として使われているようだ。

玄関近くにはオブジェクトが多数あり、岩(?)に座ってたたずんている少女像だったり庭木だったり松の木だったりと、割とごちゃごちゃしていてなかなかきれいな正面写真が撮影できなかった。

なお、閉校記念碑は見当たらず、近くに石碑はあるものの、周年記念碑だったり招魂碑だったりした。もしかしたら草木に埋もれているだけで、ものはあるのかもしれないが、ほかのブログを見たりしてもそれを確認することはできなかった。

f:id:abolished-school:20190522221534j:plain

続きを読む