学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

両津市立赤玉小学校

■学校データ

創立:1881年

・赤玉尋常小学校として開校。

閉校:1996年

コメント:

佐渡遠征その8。

現在は体育館のみが残っている。校舎は体育館右隣、山あいに沿ってに伸びていたらしい。残っている建物は外観から体育館には見えない。普通に平屋住宅といっても違和感がない。そのためこの学校を探すのに非常に苦労した。玄関口とトイレ棟?の間に「赤玉小学校」と書かれた看板があったため、はっきりさせることができた。

集落の細い道を上った先にあり、隣には立派なお宅もあった。撮影中にちょうどそのお宅の住民がいたのでいろいろと話を伺うことができた。このお宅の子供は始業ギリギリまで家にいたという話も聞けたほか、近隣の廃校の情報も引き出せた。

グラウンドは崖の中腹ということもありあまり広くない印象がある。通常のグラウンドだと1周400メートルくらいらしいが、どう見てもそんなに無い。それどころか直線で100メートル走できるかも怪しい。グラウンドの大きさって規定はないのだろうか。

学校入り口近くに閉校記念碑と日時計が置いてあった。このときは意識していなかったが、後で調べたところ、どうやらこの日時計佐渡島内で唯一の日時計だったらしい。

閉校記念碑には開校日と閉校日だけが記されているため、詳細な歴史については現在調査中である。

ちなみに廃校の旅はどんどんと北上していっているが、この赤玉という集落から北に向かおうとしたところ、「落石の危険があるため迂回するように」という看板が立っており、指示に従って迂回路を回ったが、これがまた恐ろしいほどグネグネとした山道(農道)で、何重ものヘアピンカーブを曲がり、両津港近くまで降りてきた。当初予定したルートから大幅に外れ、落石のせいで目的地の一つを無視しないといけないかと思うほどだった。(結果的に伺うことができたが)

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