学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

新井市立斐太中学校

■学校データ

創立:1947年

・斐太村立斐太中学校として開校。

・1954年に市町村合併により、新井市立斐太中学校と改称。

閉校:1970年

コメント:

古い空中写真から場所は特定できた。しかし何もなさ過ぎてどうしようかと思った。ほんとに何もないわけではないのだが、場所というのも写真の通り「斐太歴史民俗資料館」なる建物が建っているのだ。この建物の歴史は調べても見つからなかったが、間違いなく中学校の解体後に作られた建物だろう。

少しでもそれっぽいものがないだろうかとGoogleMAPを除くと、この博物館の裏に長方形のコンクリート構造物を見つけた。これはプール跡地では!?と思って現地に行ってみると、そこはすでに砂で埋められていた。残念・・・。

ちなみに敷地内にはいくつかの石碑が建てられていて、ひときわ大きくて目立つのは廃村記念碑である。廃村、つまり新井市として設立される前の斐太村のことである。廃村記念碑がここまで大きく残っているのも珍しいと思う。

その近くには細長い何も刻まれていない石碑があるが、個人的にこれは中学校の門柱ではないかとにらんでいる。(その証拠となるものは見当たらないが)

博物館の反対側には一部アスファルト舗装された敷地があるが、ここはかつてのグラウンドだったようだ。なぜ一部だけアスファルト舗装されているかはよくわからない。何かの模様に見えなくもないので、単なる模様としての舗装をしたのだろうか。

・・・調べてみると「斐太遺跡群」なるものがこの周辺で見つかっているようなので、古墳をモチーフとした舗装なのかもしれない。

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