学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

新井市立上郷中学校

■学校データ

創立:1947年

・上郷村立猿橋小学校と上郷村立長沢小学校にそれぞれ併置して開校。

・1950年に独立校舎が完成。各校の併置を廃止。

・1954年に町村合併により、新井市立上郷中学校と改称。

・1956年に校区の一部が新井市立新井南中学校に移管。

閉校:1970年

コメント:

この学校に関しては前情報がなく、場所の特定が非常に困難だった。しかし、過去の学校の写真や歴史的背景から場所を何とか絞り、思い当たる節の所に行ってみたのが2018年10月。この時は学校があったことを証拠とするものは何も見つからなかった。

1年後、たまたま通りかかるタイミングがあり、「今回こそ見つけてやる」と意気込んでいってみたところ、国道からの入り口坂の斜め右上に、門柱らしきコンクリートが建っているではないか!何か書かれているのか、又は張り付けられているのかまでは把握できなかったが、もうこれは証拠であるといっても過言ではなかろう。

おそらく、ネット上では初めて上郷中学校跡地を掲載したのではないだろうか。

ちなみに歴史的背景というのは、上郷村が戦後に中学校建設をする際、建設場所が旧猿橋村と旧長沢村とで揉めにもめ、(または予算の都合もあり)中学校は各小学校に併置して開校したという歴史がある。その後、各村の間をとって建設されたのが上郷中学校だったのだ。なので各集落の間にあるんだろうなーという認識ではあったが、山という山と蛇行した川に挟まれたところのどこに学校が建てられようか?とずっと疑問に思っていたのだ。まあ最終的には「新井南中学校」の閉校記念のページからヒントを得たわけだが。(あとはこの入り口のところにバス停があるのも不思議に思っていた。周りに民家は全くない)

さて、学校の跡地は個人か法人かはわからないが、農作業用地として使われているようだ。大量のもみ殻と大きな倉庫があるが、この倉庫は閉校後に建てられたもののようで、学校とは関係ないと思われる。

もみ殻が置かれているところはかつてのグラウンドで、その奥の一段高くなったところに学校があったようだ。

閉校記念碑も見当たらず、草も長く伸びているためあまり深く探索することはできなかった。1回目と2回目とも、10月という草が伸びきって枯れ始めるという最悪のタイミングで来たわけで、どうも間が悪い。1回目は妙高市すべての学校を回ったわけだから仕方がないが・・・。

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↑2018年10月

↓2019年10月

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