学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

山北町立大川谷小学校荒川口分校

■学校データ

創立:不明

閉校:1969年

コメント:

山北町立大川谷小学校の閉校記念誌をひっくり返さないと歴史が全く分からないであろう分校。旧山北町の廃校の歴史を調べていたら偶然発見した分校で、当初村上市へ廃校巡りにした際には発見できなかった学校である。(この写真は第1回探索後の1か月後に再訪したときに撮影した)

Google先生で調べてもまるで引っかからない。本当にあったのかと思うぐらい不思議な分校なのだが、歴史上確かにあった模様。自分も何を検索してこの学校のことを知ったのかが思い出せない。(何せ1年近く前だし)

閉校後は何かの工場として利用されていたようだが、それも閉鎖され、今は草むらに覆われている。

学校は山の斜面を削って作った土地のようなところにあり、集落から少し高台に登ったところにある。グラウンドと思われる土地は狭く、校舎の反対側に小屋のようなものも見える。また、入り口近くには消火栓も見つかった。

閉校から50年近く経っているが、途中で工場として使われていたとしても割と崩れているところが少なく、草が枯れた時期であればもう少し詳しく見ることができるのだろう。しかし現在は人の手が入っていないところを見ると、崩れるのも時間の問題かもしれない。

しかし、1969年廃校となっているが、建物自体は木造ではなく、鉄筋コンクリートに見える。調べると1970年代ごろから鉄筋コンクリート製校舎に建て替えられることが多くなっているようなので、もしかしたらこの校舎は割と早い時期に鉄筋コンクリート製に建て替えられたか、建て替え後から数年でに廃校になったかと思われる。

(本校の大川谷小学校は1977年に建て替えられている)

校舎の建て替え頻度にもよるが、荒川口分校がいつ創立したのか、非常に気になるところである。

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