学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

青海町立青海小学校大沢分校

■学校データ

創立:1955年

青海町立青海小学校大沢分校として開校。

・1968年に本校と名目統合。

閉校:1968年1972年

コメント:

わずか13年で閉じた学校で、校舎の姿かたちも残っていない。跡地は公園となっているが、入り口近くに閉校記念碑が建てられている。

この閉校記念碑は平成12年に建立されている。閉校してずいぶん経ってから建てられたようだが、建てたのはこの学校の第1期卒業生だそうだ。

なぜこんな短い期間しか学校が存在しなかったのか。そもそもこの学校は、青海町の最大規模の会社、デンカ株式会社(旧・電気化学株式会社)青海工場がある場所で、社員寮も多かったため、独立した校舎の設置を求めて建てられた、ということらしい。これは青海町の歴史を記した本(名前ド忘れしました)で書かれていた。

そして調べていると、ネットにてデンカ青海工場の南側の社員社宅(通称・南社宅)に住まわれていた方がまとめたと思われるホームページ(http://minami.himenokuni.com/)が見つかった。2004年で更新が止まっているのが、掲示板の書き込みは割とあるので、今も生きているHPと思われる。

このHPを見るに、開校時は1、2年生だけで430人もいたらしい。もはや分校というレベルではない!開校した5年後には立派な体育館も作られたらしいが、その後児童数が減少し、閉校時は全校で73人まで減ってしまったそうだ。

 ちなみに、青海の歴史書糸魚川市の市内学校の沿革情報を見ると、閉校は1968年と書かれている。(別サイトの方も同様だった)しかし、南社宅HPの方は昭和47年(1972年)に閉校と記されている。実に4年もの開きがあるが、どういうことだろう。

1972年は青海小学校の新校舎(現校舎)竣工年度でもあるので、新校舎竣工に合わせて統合というのは割と自然な感じがするが、そうすると市の情報が間違っているのか?これは過去の広報誌か何かも見ないとわからんぞ。

(2022年12月7日追記)

読者様からコメントをいただき、名目統合と実質統合が行われていたようで、名目統合が1968年、実質統合が1972年のようでした。

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(1976年の空中写真。中央にあるのが大沢分校。左側に規律よく並んでいる建物は社宅と思われる。出典:国土地理院

 


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