学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

五泉市立馬下小学校

■学校データ

創立:1873年

・前身となる第二十大区十二小区一八四私学諭瀬校笹堀分校が開校。

・1883年に独立し、公立小学校第十六番附馬下校と改称。同年9月に尋常科中川校馬下分場と改称。

・1890年に尋常科川東小学校第二分場と改称。

・1892年に独立し、川東村立馬尋常小学校と改称。

・1908年に川東村立川東尋常高等小学校第二分場と改組。

・1941年に川東村立川東国民学校第二分教場と改称。

・1947年に川東村立川東小学校第二分教場と改称。

・1950年に独立し、川東村立川東第三小学校と改称。

・1954年に町村合併により五泉市立馬下小学校と改称。

閉校:1997年

コメント:

馬下」は「まおろし」と読むそうだ。読んで字のごとく、馬から下りた場所という意味のようだ。馬下集落の先は阿賀野川が流れているので、川を渡るために馬から下りたというのがもしかしたら集落名の意味かも?

校舎は解体され、跡地には郵便局と特別養護老人ホームが建てられている。郵便局が校舎のあたり、老人ホームがグラウンドだったところのようだ。

郵便局近くにいろいろとアイテムが残されているが、草木に覆われてなかなか近づけない。閉校記念碑には校歌が刻まれていて、裏側には閉校記念実行委員会のメンバーの名前が書かれている。その近くには門柱だったと思われるものが一本佇んでいる。

(1975年の空中写真。中央にあるのが馬下小学校。上にあるのはJR磐越西線馬下駅。出典:国土地理院

 


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