学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

国上村立渡部国民学校

■学校データ

創立:1878年

・牧ケ花校附属国上分校渡部教場として開校。

・1892年に渡部尋常小学校と改称。

・1941年に国上村立渡部国民学校と改称。

閉校:1943年

コメント:

80年以上前の学校の跡地がまさか残っているとは。

というのも実は国上小学校を調べた際、空中写真を見ると学校っぽい場所があることに気づき、しかも地名と校名が一致するではないか。さらにその場所が今でも空き地であり、Googleストリートビューで見るとなんか石像っぽいものが建っているのにも気づいた。

というわけで現地に行ってみると、確かになんか像がある。近づいてみると、首がもげているが、これはどう見ても二宮金次郎像!何もないところに二宮金次郎さんが建っているわけないので、ほぼ間違いなくここに渡部小学校があったはず。

ちなみにそれ以外に閉校記念碑などは無く、唯一の証拠が二宮金次郎像になる。

渡部小学校があった場所の目の前には大河津分水が流れている。また、その近くには渡部城という城址もあるようで、今は神社が建立されている。

なお、国土交通省信濃川河川事務所が大河津分水に関するレポート記事がまとめられ、そこで渡部小学校のことについて少し触れられている。

これによると、閉校後も冬季分校として3年間運用されていたらしく、その間に橋が架け替えられ、冬季でも本校(国上小学校)に通えるようになったらしい。なので1943年閉校というのは実際異なるようだが、レポート記事でも冬季分校が運用されていた期間がまちまちだったようなので、暫定的に閉校年度は1943年とした。

(2012年のGoogleストリートビュー。この像らしきものがヒントとなった。なお像の前には白い柱が建っているが、もしかしたら学校跡を示すものなのかもしれないが、撮影したときには柱は無かった)

(1948年の空中写真。赤い○印が渡部小学校跡。青い○印が国上小学校。出典:国土地理院

 

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