学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

新潟県立加茂農林高等学校庄瀬分校

■学校データ

創立:1955年

新潟県立加茂農林高等学校定時制課程庄瀬分校として開校。

・1977年に募集停止。

閉校:1980年

コメント:

宿題を終わらせに来た。

以前記事にした白根市立庄瀬中学校に隣接した場所に開校した当校。前回訪ねた際はここに庄瀬分校があることを知らず、のちに知ることになったため、再びこの地に降り立ったのだ。

よく見るとしっかりと閉校記念碑などが建っている。なぜよく見なかったのか。何より目立つのは白色の男性の立身像ではなかろうか。

閉校記念碑の類の周りには柵が設けられ、容易に近づくことはできないが、遠方からでも内容を見ることができた。

まずは何よりも目立つ男性の立身像。台座には「優勝」の文字が飾られている。その文字の横には「柔道」「昭和四十三年九月 白根市長吉沢正五書」と書かれていた。裏側にも詳細が書かれていて、どうやら庄瀬分校の柔道部が北陸四県高校定時制通信制体育大会で優勝した時に建てられたものだそうだ。

建てられた当時の市長である吉沢正五氏はこの庄瀬村出身のようなので、まぁいろいろ便宜が図られたのだろう。

その立身像の台座の右側には「閉校記念」と書かれた碑文も埋め込まれている。これは閉校の際に埋め込まれたもののようだ。

この閉校記念とは別に、その隣に閉校記念碑が建立されている。こちらには「尚浩健児砦」と表に書かれている。ん、砦でいいんだよな?「尚浩」の意味がはっきりしないが、先ほどの立身像の下にも「尚浩会柔道部」とあることから、おそらく庄瀬分校の生徒たちを指す言葉なのだろう。

ちなみにこれら石碑群の裏の建物は集会所であるが、当時の校舎ではないらしい。当時は庄瀬中学校校舎に併設して校舎が建てられていたそうだが、記念碑類がこの集会所の前に建てられたのはなぜだろう。

(集会所も集会所っぽくない構造なので、もしかしたら庄瀬分校の実習棟だったのかもしれない)

(1975年の空中写真。赤い〇印が石碑類が置いてある集会所周辺。青い〇印が庄瀬中学校及び庄瀬分校。黄色い〇印が庄瀬小学校。出典:国土地理院

 

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