学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

入善町立椚山小学校

■学校データ

創立:1873年

・椚山小学校として開校。

・1876年に協和小学校と改称。

・1887年に協和小学校内に椚山簡易小学校を設置。

1888年に協和小学校を廃止。

・1892年に椚山村立協和尋常小学校と改称。

・1895年に椚山村立椚山尋常小学校と改称。

・1927年に高等科を併設し、椚山村立椚山尋常高等小学校と改称。

・1941年に椚山村立椚山国民学校と改称。

・1947年に椚山村立椚山小学校と改称。

・1953年に町村合併により入善町立椚山小学校と改称。

閉校:1997年

コメント:

跡地は椚山公民館と椚山保育所が建てられている。なお椚山保育所は2023年に閉園し、横山保育所と統合して新たに「とうり保育所」というのが別の場所に建てられた。保育所の統合は椚山小学校と横山小学校の統合と同じ校区のような形になったようだ。

施設入り口に閉校記念碑などが建立されている。入り口の門はもしかしたら当時のものかもしれない。校章があったんじゃないか?という跡が見える。

閉校記念碑は表に校歌、裏に沿革が書かれている。その隣には「くぬぎの学び舎」と書かれた大きな岩がある。

公民館入り口のロータリーには二宮金次郎像も残されている。閉校記念碑類の近くではなく、あえてロータリーに移設したのはおもしろい。

ほかにも忠魂碑や「義人九兵衛の碑」というのがあった。義人九兵衛について説明するような碑が見当たらなく、どのような人物かわからなかったが、調べると、思い年貢や厳しい支配に対する百姓一揆の首謀者が椚山村(現在の入善町椚山)に住む九兵衛と荒屋村(現在の入善町新屋)の太左衛門だったそうだ。これが「九兵衛騒動」と呼ばれる事件で、九兵衛ははりつけ刑に処され、二人の子どもも打ち首となったそうだ。

こうした何気ない碑も調べてみると壮絶なドラマが垣間見えてくる。また一つ興味が出てきた。

(1975年の空中写真。赤い〇印が椚山小学校。出典:国土地理院

 

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