学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

西会津町立奥川小学校弥平四郎分校

■学校データ

創立:1922年

・奥川村立奥川尋常小学校弥平四郎分教場として開校。

・1941年に奥川村立奥川国民学校弥平四郎分教場と改称。

・1947年に奥川村立奥川小学校弥平四郎分校と改称。奥川村立奥川中学校弥平四郎分校を併置。

・1954年に町村合併により西会津町立奥川小学校弥平四郎分校と改称。

・1972年に西会津町立奥川中学校弥平四郎分校を廃止。

・1986年に休校。

閉校:1986年

コメント:

校舎はまだ残っており、鉄筋コンクリート製の校舎と木造の体育館と思われる建物が現存している。一応指定避難所にもなっているらしい。

グラウンドは砂利で覆われているが、どうやら登山客用の駐車場として開放されているらしく、この日も数台の車が止まっていた。とはいえ自分が伺ったのは8月のお盆時期であり、墓参りをしに来ている人たちもかなり見受けられたので、もともとこの集落に住んでいた方やその親類も車を止めているのだろう。

かなり奥まった集落ではあるのだが、登山ルートとして利用者がかなり多いようで、旅館兼商店も1軒だけある。(商店として今も営業しているかは不明だが)

なお、山を挟んだ反対側に弥生集落というところがあり、ここにも分校があるのだが、この時は令和4年8月の大雨による路肩崩壊で、集落に向かう道が修繕工事されていたため集落にたどり着くことができなかった。

弥生集落は冬季無住集落であり、路肩損壊個所の通行については平日だけ地域住民のみ通行可能なようで、他から来た人は休日を待つしかなかったらしいが、自分は平日に来てしまったため見事に跳ね返された。

弥生分校は当時、低学年だけが通い、高学年(5~6年生)はここ弥平四郎分校へ通っていたそうだ。ただ冬期間だけ高学年も弥生分校で勉強していたということらしい。山一つ挟んでいるが、登山道らしき道はあったらしく(現在未確認)ここを通うのには相当な体力と勇気が必要だったのではと思う。

(1976年の空中写真。赤い〇印が奥川小学校弥平四郎分校。出典:国土地理院)

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