学舎の記憶|新潟を中心とした廃校を旅するブログ|

思い出とともに廃れゆく学舎を記録していきます

真野町立西三川中学校

■学校データ

創立:1947年

・西三川村立西三川小学校に併置して開校。

・1950年に独立校舎を竣工し、移転。

・1955年に町村合併により、真野町立西三川中学校と改称。

閉校:2000年

コメント:

佐渡遠征その48。

木造の校舎は健在だが、グラウンドがあった位置には現在デイサービスセンターと保育園が建設されているので写真を撮る際は細心の注意を払った。

玄関向かって右側が体育館、左側が校舎棟となっているが、いずれにもコンテナボックスのようなものが積まれていたので、今はどこかの企業の倉庫として使われているようだ。

玄関近くにはオブジェクトが多数あり、岩(?)に座ってたたずんている少女像だったり庭木だったり松の木だったりと、割とごちゃごちゃしていてなかなかきれいな正面写真が撮影できなかった。

なお、閉校記念碑は見当たらず、近くに石碑はあるものの、周年記念碑だったり招魂碑だったりした。もしかしたら草木に埋もれているだけで、ものはあるのかもしれないが、ほかのブログを見たりしてもそれを確認することはできなかった。

f:id:abolished-school:20190522221534j:plain

続きを読む

佐渡市立西三川小学校笹川分校

■学校データ

創立:1880年

・創立時の名称は不明。

・1899年に小布勢村立西三川尋常小学校笹川分教場と改称。

・1909年に西三川村立大小尋常小学校に移管。

・1930年に西三川村立西三川尋常高等小学校大小分教場笹川教室と改称。

・1941年に西三川村立西三川国民学校大小分校笹川教室と改称。

・1947年に西三川村立西三川小学校に移管し、西三川村立西三川小学校笹川分校と改称。

・1955年に町村合併により真野町立西三川小学校笹川分校と改称。

・2004年に市町村合併により佐渡市立西三川小学校笹川分校と改称。

閉校:2010年

コメント:

佐渡遠征その47。

本校の閉校と同時に閉校となった学校だが、今でも地域の運動会や収穫祭などで使われているようで、きれいに整備されている。

通り沿いの看板にはわざわざ「旧西三川小学校笹川分校200m」という看板が付けられているほど、地域に愛されていることがうかがえる。

閉校前の年度では全校生徒が4名ほどしかいなかったということだが、それまでずっと校舎が残っていたのは立地の悪さなのだろう。実際にここに来るまでは1車線程度しかない道をたどってきていたので、非常に苦労した。レンタルした車が軽自動車で本当に良かった。(帰りに別ルートを通ろうとしたら崖崩れで通行止めになっていたのがつらかった)

ちなみに、グラウンド隅には看板があり、学校の歴史が記されていたが、開校は「1880年」と書かれている。しかし自分が調べた中で「笹川分校」の名前が出てきたのは1899年からだった。もしかしたら違う名前だったのだろうか。創立当初についてまた調べなおしてみる予定。

ちなみに、笹川分校が閉校するまでしばらくは佐渡島内唯一の分校だったようだ。

f:id:abolished-school:20190517224931j:plain

続きを読む

佐渡市立西三川小学校

■学校データ

創立:1873年

・郷校三川庠舎として開校。

・1874年に公立小学校三川庠舎と改称。

・1875年に公立小学校三川小学校と改称。

・1877年に第九中学区第二十一番小学西三川校と改称。

1878年に椿尾派出教場を設置。

1880年に公立第二十五番西三川校と改称。

1881年に第十六中学区第三十番小学区西三川校と改称。

・1885年に椿尾校が独立。

1886年に第十七小学区西三川校と改称。

・1887年に第四十一番小学区豊田校西三川分場と改称。

・1889年に大小分場と統合し、簡易科小布勢小学校が開校。

・1892年に簡易科小布勢小学校を廃し、小布勢村立西三川尋常小学校が開校。

・1899年に笹川分教場を設置。

・1909年に町村合併により西三川村立西三川尋常小学校と改称。笹川分教場が大小尋常小学校へ移管。

・1916年に高等科を設置し、西三川村立西三川尋常高等小学校と改称。

・1930年に大小尋常小学校を統合し、大小分教場を設置。

・1941年に西三川村立西三川国民学校と改称。

・1947年に西三川村立西三川小学校と改称。笹川分校が大小分校から移管。

・1949年に大小分校が独立。

・1955年に町村合併により真野町立西三川小学校と改称。

・2004年に市町村合併により佐渡市立西三川小学校と改称。

廃校:2010年

コメント:

佐渡遠征その46。

この校舎は現在地元の酒蔵が使っているため、中には不用意に立ち入ることができない。この日は休日だったようで誰もいなかった。(そもそもここの酒蔵は特別な日を除いて一般公開はしていないらしい)

裏側にグラウンドへ上る道があり、その途中にプールがあるが、プール跡はソーラー発電がおこなわれていて、ここの酒蔵で使われている。

さらに上へ行くとグラウンドが広がっていて、一部に同じくソーラーパネルが設置されている。その隅に建物があるが、これは酒蔵とは違う別会社が運営しているカフェとなっている。営業中ではあったが時間がなかったため立ち寄ることはできなかった。

f:id:abolished-school:20190512163345j:plain

続きを読む

真野町立大小小学校

■学校データ

創立:1878年

・第九中学区公立第二十一番小学三川校附属大小校として開校。

・1879年に公立第二十五番西三川校附属大小校と改称。

1881年に独立し、第十六中学区第三十番小学区大小校と改称。滝脇派出教場を設置。

・1887年に第十六中学区第四十一番小学区豊田校大小分場と改称。

・1889年に西三川分場と統合し、簡易科小布勢小学校が開校。

・1892年に簡易科小布勢小学校を廃し、小布勢村立大小尋常小学校が開校。

・1909年に町村合併により西三川村立大小尋常小学校と改称。

・1930年に西三川尋常高等小学校と統合し、西三川村立西三川尋常高等小学校大小分教場と改称。大小分教場笹川教室を設置。

・1941年に西三川村立西三川国民学校大小分校と改称。

・1947年に西三川村立西三川小学校大小分校と改称。

・1949年に西三川村立大小小学校として独立。

・1955年に町村合併により真野町立大小小学校と改称。

閉校:1970年

コメント:

佐渡遠征その45。

非常に複雑な経緯をたどった学校だが、最終的に独立し、1970年に廃校となっている。大小というのは実在する地名なのだが、大小小学校の略称は「大小」だったのだろうか。仮に中学校があったら「大小中学校」と大きいのか小さいのか中くらいなのかわからないことになってたな・・・と無駄な妄想をしてみる。

廃校後は佐渡の太鼓楽団「鼓童」の練習場として使われていたそうだが、現在は旧岩首中学校に移転しているため、この施設は現在使われていないと思われる。

しかしこの学校に向かう途中の坂道にはなぜかもみ殻が散乱していた。脱穀施設として使われているのだろうか。しかしそういったもみ殻の排出口的なものは見当たらなかった。とはいえ時期はゴールデンウィークだったので、ただ単にしまっていただけなのかもしれない。

主要道路からは見えづらい高台に校舎があるが、門柱が道沿いに建っているため場所は把握しやすいと思われる。その門柱の間には草むらに覆われていたがうっすらと道が見えた。かつては通学路として使われていたのだろう。道沿いに少し上ったところに、途中からもみ殻が散乱している坂道につながる。

f:id:abolished-school:20190508213245j:plain

続きを読む

真野町立真野小学校背合分校

■学校データ

創立:1902年

・真野村立真野尋常小学校背合分教場として開校。

1906年に真野村立真野尋常高等小学校背合分教場と改称。

・1941年に真野村立真野国民学校背合分校と改称。

・1947年に真野村立真野小学校背合分校と改称。

・1955年に町制施行により、真野町立真野小学校背合分校と改称。

閉校:1970年

コメント:

佐渡遠征その44。

「背合」は「せなごう」と読む。

現在は集落センターとして使われているようだ。閉校記念碑などはなく、確たる学校という証拠はないが、事前情報でここだということはつかんでいた。

L字の建物だが、折れ曲がる部分が玄関という特異な形をした珍しい校舎だ。向かって左側が講堂(体育館)、左側が教室棟のようで、講堂はカーテンに覆われていたため中が確認できない。また、教室棟の一部は消防小屋として使われているらしく、新たにシャッターが取り付けられていた。

f:id:abolished-school:20190504103210j:plain

続きを読む