学舎の記憶|新潟を中心とした廃校を旅するブログ|

思い出とともに廃れゆく学舎を記録していきます

相川町立金泉中学校

■学校データ

創立:1947年

・金泉村立金泉小学校に併置して開校。

・1954年に町村合併により相川町立金泉中学校と改称。

・1956年に独立校舎へ移転。

閉校:2003年

コメント:

佐渡遠征その36。

すでに校舎はなくなっており、グラウンドがあった場所には特別養護老人ホームが建てられている。

Googleストリートビューでは2012年の画像が見られるが、この時は木造の中学校校舎がまだ残っている。調べてみると2014年度に旧金泉中学校の校舎解体の工事発注見通しが出ていたようなので、閉校後10年間近くはそのまま残されていたようだ。校舎はグラウンドから一段高いところにあり、今は草に覆われている。

老人ホーム入り口には当時のものと思われる門柱も残っていて、その近くに閉校記念碑も建立されている。門柱には木製の看板もそのまま残っていて、うっすらと「金泉中学校」という文字が読み取れる。

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相川町立高千小学校南分教場

■学校データ

創立:1902年

・石花尋常小学校がこの地に移転し、高千村立北片辺尋常小学校として開校。

・1922年に高千村立北片辺尋常小学校を廃し、高千村立高千尋常小学校と統合。

・1951年に高千村立高千小学校南分教場として再び開校。

・1956年に町村合併により相川町立高千小学校南分教場と改称。

閉校:1965年

コメント:

佐渡遠征その35。

跡地には「夕鶴の里」という施設が建てらている。後で調べてわかったことだが、おそらくほとんどの人が聞いたことがあるであろう「鶴の恩返し」という童話の原作発祥の地がここらしい。

この学校跡がある「北片辺集落」に語り継がれている「鶴女房」という昔話を聞いた国文学者の鈴木棠三さんが、後に「佐渡昔話集」を発行。その後、劇作家である木下順二さんが「鶴女房」を題材にして、「夕鶴」という戯曲を作ったそうだ。

そのため、この「夕鶴の里」には、木下順二さん直筆が刻まれた記念碑が建立されている。その近くに、南分教場の閉校記念碑も置かれている。

建物自体は当時のものではないそうだが、建っている場所はもともとの校舎があった場所らしい。手前の芝生広場がグラウンドだったそうだ。

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相川町立高千北小学校

■学校データ

創立:調査中

閉校:1984

コメント:

佐渡遠征その34。

旧高千村の北にあったから高千北小学校・・・という名称だと思われるが、学校があった地域は「北田野浦」という名前なのでそこからつけられた名前なのかもしれない。ちなみに北田野浦はあれど、南田野浦や東田野浦などの地名は見当たらないので、田野浦の北というわけでもなさそうだ。

学校はすでに解体されているが、門柱だけがきれいに残されている。門柱には学校名が書かれた表札が残っていたが、かなりかすれていて、「相川町立高千・・・」までは見えている。

また、松の木や藪で覆われているあたりにはタイヤの跳び箱や児童たちの作品と思われるものがいくつか見つかった。タイヤが積み重ねられたものはなんだろう・・・。

跡地の裏には田んぼが広がっていて、農作業のためか、車の轍や土のついたままのトラクターか何かが通った跡が残っている。

ちなみに写真を見てわかる通り、学校跡地周辺には建物がほとんど建っていない。集落と集落の間に建てられた学校という印象が強い。

校舎の解体時期は不明だが、2004年の空中写真を見るとまだ校舎は残っていたので、それ以降に解体されたようだ。(市の入札情報を見ても、解体工事の入札が見当たらなかったので、もしかしたら閉校後に民間に引き払われたか?)

Wikipediaを見ると閉校は1984年7月17日に高千小学校に統合と書かれている。すごく中途半端な時期に閉校しているが、これは夏休みを利用しての統合ということなのだろうか。なぜ年度を待たず閉校したのだろうか・・・。

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相川町立小田小学校

■学校データ

創立:1874年

・第六大学区相川県管下加茂郡第三大区小ノ九区に小田庠舎として開校。

・1876年に簡易科小田小学校と改称。

・1877年に小田小学校と改称。

・1889年に町村合併により外海府村立小田小学校と改称。

・1941年に村立小田国民学校と改称。

・1947年に外海府村立小田小学校と改称。

 ・1956年に町村合併により相川町立小田小学校と改称。

閉校:1989年

コメント:

佐渡遠征その33。

校舎跡地には「新潟大学農学部附属フィールド科学教育研究センター佐渡ステーション」という施設が建っている。完全に更地にした後に建てられたもののようで、閉校記念碑だけが残されていた。

歴史を見るとかなり古く、学制が公布された2年後に作られた学校だが、庠舎とは私塾に近いものだったので、この地域の教育は非常に熱心だったことがうかがえる。また、先に小田小学校が開校したこともあり、近隣の学校のほとんどはこの小田小学校の附属校だったようだ。残念ながら人口減という理由で廃校になってしまったが・・・。

伺ったこの日は無人だったが、現役の施設でもあるのであまりうろうろせずさらっと写真を撮って退散した。

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相川町立外海府中学校

■学校データ

創立:1947年

・外海府村立外海府小学校に併置して開校。

・1949年に独立校舎へ移転。

・1956年に町村合併により相川町立外海府中学校と改称。

閉校:1983年

コメント:

佐渡遠征その32。

校舎跡地には「相川外海府活性化センター」という建物が建っている。いわゆる公民館的な建物である。

1976年の空中写真を見ると、位置的には今の活性化センターがあるところが校舎で、その左側に体育館棟があるように見える。だが1992年の空中写真では更地になっていたので、この建物は全くの新規のようだ。

入り口に閉校記念碑が建立されているが、なぜか正面だけしか写真を撮らなかった。確か裏には何も刻まれていなかったと記憶している。なんで撮らなかったんだろう・・・。

センターの後ろは空き地が広がっていて、そこはグラウンド跡ということがうかがえる。

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