学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

津南町立田所小学校大場分校

■学校データ

創立:1948年

・中深見村立田所小学校大場分校として開校。(以前は教育免除地であったり、季節分校を開設していたようだが具体的な年度は不明)

・1954年に町村合併により津南町立田所小学校大場分校と改称。

・1975年にプール竣工。

閉校:1986年

コメント:

やっとたどり着けたのだが、時期が悪かった。

季節は秋、高く覆い茂ったススキ類と繁殖に向けて種を飛ばそうとする雑草類に阻まれ、目的地まであと50メートルというところであきらめた。ススキはいいとして植物の種が衣服にくっつくのでこれだけは避けられなかった。長靴とツルツルの雨具でも着てくればよかった・・・。

跡地には携帯電話の基地局が建てられているようで、この道を行った先には門柱も残っているらしい。現在はこんな状況だが、おそらく春先なら草もそんなに生えてなくて行けるはずだ。

しかし、そもそもここは津南町。日本随一の豪雪地帯である。その春というタイミングは4月ではなく5月にもつれ込む可能性もあってだな・・・。(この学校があるところは生活道路から離れた場所なので当然除雪はされていないだろうし)

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津南町立外丸小学校樽田分校

■学校データ

創立:1875年

・外丸校樽田派出所として開校。

・1887年に尋常科外丸小学校樽田派出所と改称。

1906年に村立外丸尋常高等小学校樽田派出所と改称。

・1941年に外丸村立外丸国民学校樽田派出所と改称。

・1947年に外丸村立外丸小学校樽田分校と改称。

・1955年に町村合併により津南町立外丸小学校樽田分校と改称。

閉校:1974年

コメント:

樽田集落は定住者のいない集落となっており、夏場は畑作業などで通う人がいるものの、冬季は無人となる。かつては亜炭鉱で栄えた村であったが、閉山後に人口は減り続け、1975年に閉村となったという記録がある。

閉村したとはいえ、上記の通り畑作業などで通う人たちがいるため、作業小屋や住宅がいまだ少し残っており、一目見ても閉村したとは思えない様子がある。

樽田分校跡は集落内を通る国道405号沿いにあり、建物は無くなっているが、学校があったであろう広い土地は残されている。草も定期的に刈られているようで、放置されている感じではない。おそらく集落に通う元住民たちが手入れをしているのだろう。

一段高くなった場所があり、そこに校舎があったようだ。その下がグラウンドで、間には石段が組まれている。グラウンド側の入り口にはかつての門柱だろうか、コンクリートブロックが横たわっている。

またグラウンド隅には鉄製のオブジェクトがある。これはかつての遊具だったらしい。たしかにここには子どもがいたんだなぁと思うと、もの悲しい気持ちになる。

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横越村立小杉小学校

■学校データ

創立:1873年

・大淵校分教場鋳璞軒として開校。

・1874年に第一中学区第十八番小学小杉校と改称。

・1887年に簡易科小杉小学校と改称。

・1891年に小杉村立小杉尋常小学校と改称。

・1927年に藤山雪中派出所を設置。

・1941年に横越村立小杉国民学校と改称。

・1947年に横越村立小杉小学校と改称。

閉校:1976年

コメント:

跡地にはコミュニティセンターが建てられている。割と年数経っているように見えるが、当時の校舎ではなく、閉校後に新たに建てられたものとなっている。

敷地内に閉校記念碑が建立されているが、そこには「小杉村役場跡」とも書かれている。小杉村は1901年に横越村に統合したので、小杉小学校が役場跡に移転してきたのはこの後と思われる。記念碑の隣には二宮金次郎像もあった。

ちなみになぜかメモし忘れてしまっているのだが、途中で出てくる藤山雪中派出所というのは、現在の江南区藤山のあたりではなく、すぐ近くを流れる阿賀野川の中州にあったところらしい。

今はその中州の一部が残っているが、かつてはもう少し広く、畑や田んぼなどがあったらしく、人も住んでいたようだ。橋も架かってないため、船で近くの集落を行き来していたようだが、冬場になると船を出しづらくなるため冬季分校を設置したという経緯があったそうだ。

・・・というのを何となく記憶しているのだが、間違っていたらスミマセン。

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横越村立横越小学校(旧校舎)

■学校データ

創立:1872年

・承久学舎として開校。

・1874年に第六大区第一中学区第十九番小学横越校として開校。

1880年に第六大区第三中学校区第十九番小学横越校と改称。

1881年に第六大区第三中学校区第十七番小学公立横越校と改称。

・1887年に尋常科横越小学校と改称。

・1892年に村立横越尋常小学校と改称。

・1901年に高等科を併置し、村立横越尋常高等小学校と改称。

・1912年に高等科が独立し、村立横越尋常小学校、村立横越高等小学校と改称。

・1926年に高等科を再び併置し、村立横越尋常高等小学校と改称。

・1941年に横越村立横越国民学校と改称。

・1947年に横越村立横越小学校と改称。横越村立横越中学校を併置。

・1949年に中学校校舎竣工により併置を解除。

閉校:1976年

コメント:

横越村内の4つの小学校が統合し、現在地に新しい横越小学校が開校した。その横越小学校の旧校跡には石碑が建立されている。現在は特別養護老人ホームがその場所に建てられている。

石碑の裏側には沿革もあり、閉校から10年後の1986年に建立されたことが記されている。

旧校舎の周りは宅地が広がっているが、当時からこのような密集帯だったようで、過去の空中写真を見るに、グラウンドは現在の横越中学校の場所にあったらしく、旧小学校からは200メートルほど離れていたようだ。

小学校グラウンドがあった場所に横越中学校が建設され、中学校横に新たなグラウンドが作られたらしいので、どうやら中学校とグラウンドが共用だったようだ。1976年の新校舎竣工までそれが続いていたと思われる。

特別養護老人ホームに入所されている方の中には、この旧横越小学校に通った人もいるのだろう。

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亀田町立早通中学校

■学校データ

創立:1947年

・亀田町立亀田中学校早通校舎として、亀田町立早通小学校に併置して開校。

・1951年に独立し、亀田町立早通中学校が開校。

・1967年に統合により亀田町立亀田中学校早通分校と改組。

閉校:1968年

コメント:

跡地はもれなく早通小学校(現役校)の敷地内となっている。しかし校庭には閉校記念碑が建立されていた。

この日は休日だったため、通り沿いから写真を撮ることができたが、石碑自体は当然敷地内にあるため、裏側を確認することはできなかった。

早通小学校が隣接する通り新潟亀田ICに向かう道のため交通量が多く、現役の学校に向けてカメラを構えている姿は不審者と疑われかねないので冷や冷やした。

周辺は地域は開発が進み、新しい宅地も造成されてきているが、当時は亀田町唯一の亀田中学校へ統合。その後宅地開発が進み、1984年に早通地区(現在の亀田早通)に近いところに亀田西中学校が開校。早通小学校の児童はそこへ通っている。開発がもう少し早ければ、早通中学校はそのまま独立したままだったかもしれない。ifの話ではあるが・・・。

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