学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

真野町立静山小学校

■学校データ

創立:1879年

・静山尋常小学校として開校。

1888年に川茂村立川茂尋常小学校静山分教場と改組。

・1891年に独立し、川茂村立静山尋常小学校と改称。

・1901年に真野村立静山尋常小学校と改称。

・1902年に真野村立真野尋常小学校静山分教場と改組。

・1912年に独立し、真野村立静山尋常小学校と改称。

・1941年に真野村立静山国民学校と改称。

・1947年に真野村立静山小学校と改称。

・1951年に町制施行し、真野町立静山小学校と改称。

閉校:1989年

コメント:

佐渡リベンジその1。

佐渡島の廃校探索を行ったのが2018年。そこから5年後にリベンジ。

静山小学校は最初の廃校探索時も存在自体は分かっていたのだが場所が特定できていなかったので行けなかったところ。ネット上にも静山小学校のことがほとんど書かれておらず、本当にあったのかとも疑っていた。

最初の探索後に真野町史などをひっくり返したりして調べた結果、ある程度の場所を特定できた。ただ古い地図と見比べて道路が新しくできていたりしてなかなかはっきりとしなった。

静山小学校は廃校後、簡易宿泊施設「静山の里」として使われていたことまでは分かったが、2008年~2009年ごろに廃止されたようで、これもハッキリしないがその後解体されたようだった。

現地に行ってみてもそれらしい建物は残っていなかったが、その道中に学校の門柱らしき構造物があったので、ほぼ間違いないと踏んでいる。柱には学校などの文字は見当たらず、寄贈した人の名と年月日だけが刻まれている。ただ場所的に廃校後(または解体後)に移設されたもののような気がする。

この門柱があるところは小さな広場になっていて、奥に別の建物が見える。これは学校とは関係ない建物ではないかとみている。藪がすさまじいのと建物の屋根下部分に大きなスズメバチの巣があったので近づくことはできなかった。

この門柱があるところから先に登るとちょっとした山の頂上に出る。(道はコンクリート舗装されている)その場所には簡素な木製の建物と石柱が3つ。真ん中には「金比羅神主(王?)」と書かれているので、この建物は神社と思われる。となると下にあった門柱はもしかして神社のもの?でもそんな半端な場所に建立するかね?

そしてこの神社から道路を挟んだ反対側にかつての校舎があったと思われる。そこは見事に藪と木々に覆われていて近づけない。何か痕跡があれば・・・と思ったがここまで草木に囲まれるともうわからない。さすがに突っ込む勇気はなかった。この近辺を1-分くらいかけて探索したが、やはりこれといった痕跡は見当たらなかった。

本当にここが静山小学校だったのか問い合わせたいが、誰が答えてくれるだろうか・・・。ちなみにこのあたりの集落はかなり過疎化が進んでいるようで、人がいる気配があまりなかった。

(1976年の空中写真。赤い○印が静山小学校。出典:国土地理院

(2014年の空中写真。赤い○印のところに静山小学校があった。出典:国土地理院

 

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