■学校データ
創立:1883年
・大池小学校赤倉派出場として開校。
・1888年に赤倉分教場へ改称。
・1981年に赤倉分校が独立して赤倉小学校になる。同時期に大池小学校と統合。
閉校:2003年
コメント:
本校から独立し、本校を吸収したという珍しいケースで誕生した学校。
小さな学校であるが、最盛期でも50人ほどの児童数だったようだ。閉校する前の年は全児童が2名にまで減少している。
グラウンドもきちんと管理されているのは、避難所として使われているからだろうか。
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創立:1876年
閉校:1981年
コメント:
現存している木造校舎としてはかなり古い部類になるだろう。現在はインドのミティラー画が複数展示されている私設美術館「ミティラー美術館」として利用されている。(1988年開館)
1981年10月31日という半端な時期に閉校となったと記録されている。これは閉校する直前の児童全員が冬期間に開設される「津池冬季分校(所在不明)」へ通っていたため、冬期間は本校の児童が0名という事態が起きたためという。
11月からは分校だった赤倉分校が「十日町市立赤倉小学校」として独立し、大池小学校に通っていた児童は通学しやすい赤倉小学校へと通うようになった。
分校が独立校となり、本校が統合するという珍しいケースが起きていたようだ。
学校の前には集落や学校の名前の由来となった「大池」という池が広がっていて、釣り人が数人釣りを楽しんでいた。
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創立:1872年
・第六大区五小区刈羽郡岡野町分校として9つの村の組合立で開校。
・1874年に組合から分離し、第六大区第四中学区一五番小学第一分校を開校。
・1883年に第八中学区第七小学区公立小学門出校と改称。
・1885年に刈羽郡第八小学区公立門出小学校と改称。
・1887年に刈羽郡簡易科門出小学校と改称。荻之島分場を設置。
・1901年に刈羽郡村立門出尋常小学校と改称。町村合併により高柳村の学校となる。
・1911年に高等科を併置し、高柳村門出尋常高等小学校と改称。
・1913年に高等科を廃し、高柳村門出尋常小学校と改称。
・1931年に中後分教場、寄合分教場を設置。
・1933年に高等科を再度併置し、高柳村門出尋常高等小学校と改称。
・1941年に高柳村門出国民学校と改称。
・1947年に高柳村立門出小学校と改称。高柳村立高柳中学校第二校舎を併設。
・1955年に町村合併により、高柳町立門出小学校、高柳町立高柳中学校第二校舎と改称。
・1960年に高柳町立高柳中学校第二校舎が独立し、高柳町立門出中学校が開校。
・1970年に高柳町立門出小学校中後分校が閉校。
・1971年に高柳町立門出中学校が高柳町立高柳中学校に統合し、閉校。
・1995年に高柳町立石黒小学校と統合。
閉校:2012年
コメント:
現在は体育館のみが残っている。体育館横にコンクリートブロックが積まれた箇所があるが、そこから校舎につながっていたようだ。
歴史を見ると現在の体育館は1985年に造られたもので、校舎は1971年に落成されている。中学校が閉校した翌年に新校舎ができたようなので、中学校の名残はなさそうだ。
閉校記念碑が建っているため詳しい歴史を見ることができる。また、校庭には創立100周年の石碑も残っている。
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