学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

神林村立神納小学校河内分校

■学校データ

創立:1902年

閉校:1987年

コメント:

ネット上にもほとんど学校情報が無く、詳細がよくわからない。開校年度と閉校年度は「at跡」様のサイトを参考にさせていただきました。

なんせ「神林村誌」が近くの図書館にないので詳しく調べられていないのである。(ましてや緊急事態宣言中のため不要不急の外出もできない状況・・・)歴史については分かり次第アップしていく。

集会場がそのまま分校跡だったようで、なぜかその写真を撮っていないという失態を犯している。裏側の階段を上がったところにグラウンド跡と思われる敷地があり、現在も公園として整備されているようだ。児童公園と名前がついているが、果たしてこの集落に児童公園で遊ぶほどの子どもはいるのだろうか・・・(令和元年5月1日時点で集落人口は53名)どちらかというとゲートボールがメインの老年公園ではなかろうか(失礼)。

奥にはなぜかプール跡が残っている。飛び込み台などはないので防火水槽かと思ったが、近くにちゃんとシャワー設備があったりする。さすがに今は使ってないよね。

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荒川町立金屋小学校名割分校

■学校データ

創立:1875年

・第六大学区第八中学区公立二十番小学金屋校名割分場として開校。

・1876年に第六大学区第八中学区十九番小学公立金屋校名割分場と改称。

・1877年に本校から独立。

・1887年に村立簡易科名割小学校と改称。

・1890年に近隣校が統合し、組合立尋常科金屋小学校が開校。

・1892年に組合立を解消し、村立大津尋常小学校、村立南保内尋常小学校が開校。

・1923年に金屋村立大津尋常小学校、金屋村立南保内尋常小学校を廃し、金屋村立金屋尋常高等小学校南保内分教場を設置。

・1941年に金屋村立金屋国民学校南保内分教場と改称。

・1947年に金屋村立金屋小学校南保内分教場と改称。

・1953年に金屋村立金屋小学校名割分校と改称。

・1954年に町村合併により荒川町立金屋小学校名割分校と改称。

閉校:1965年

コメント:

跡地には集会場のような建物が建っている。ブランコや滑り台といった遊具があるが、おそらく学校があったころのものではないと思われる。

その敷地内には石でできた記念碑があったため、「古い学校だけどきちんとあるんだなぁ」と思って近づいたら全く違う石碑だった。

福沢諭吉訓』と題に書かれた碑文だが、調べてみると『福沢心訓』という七か条からなる教訓のことらしいが、どうも本当は福沢諭吉の言葉じゃないそうだ。作者不明の偽作とのことで、慶應義塾大学や研究者も「これは福沢先生の言葉ではない」と否定しているらしい。

・・・じゃあなんでその偽物の作品が石碑になってるんだ・・・ただまぁ、書いてあることは深い言葉なので、これ自体はいいものである。

公園中央の木のそばには二宮金次郎像があるが、これは当時の学校にあったものかどうかはわからない。

道路手前側に砂利が敷かれているところがあるが、ここにはかつて防災用のため池があった。GoogleMAPの空中写真では確認できたが、伺った2019年には解体されていた。最初これを見た時はプール跡地かと思ったのだが、(小学校のプールは1955年から整備が始まったので、1965年廃校と考えるとわざわざ設置したとは思えない)1975年の空中写真を見るとこのため池は見当たらない。閉校後に作られたもののようだが、同じ場所に大きなマンホールがあったため、防水池は地下に埋設されたのだろう。

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村上市立山辺里小学校山田分校

■学校データ

創立:1881年

 ・第八中学区二六番小学山辺里校日下分校下山田分教室として開校。

・1885年に山田分教室を廃止。

1921年に日下尋常小学校統合に伴い山田分教室を設置し、山辺尋常小学校山田分教場と改称。

・1941年に山辺里村立山辺里国民学校山田分教場と改称。

・1947年に山辺里村立山辺里小学校山田分校と改称。

・1954年に町村合併により、村上市立山辺里小学校山田分校と改称。

閉校:1999年

コメント:

校舎のすぐ近くまで森が来ていたため、GoogleMAPの空中写真からは判断が難しかったが、過去の空中写真から場所を割り出した。ネットでも山田分校についての記事があまり無く、村上市史からある程度歴史を抽出できた。

「山田分校」という名前だけの歴史で見ると1881年になるが、一度廃校になっていて、再度設置されたという経緯からすれば、閉校記念碑に書かれている大正10年(1921年)開校が正しい。そもそも同じ場所に立っていたかどうかもわからない。ちなみに現在の場所は上山田集落と下山田集落のちょうど中間となっている。人口は下山田集落の方が倍多い。

裏側のグラウンドには隅に携帯の基地局が建っていることを除けばほぼそのまま。基地局があるからか、そんなに荒れている感じはしない。入り口にはセキュリティ会社のシールが貼ってあるから、むしろ今でも使われているのかな。

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村上市立山辺里小学校(旧校舎)

■学校データ

創立:1873年

・公立山辺里小学校として江見此面宅に開校。

・1875年に第八番中学区二六番小学山辺里校と改称。

・1887年に簡易科山辺里小学校と改称。

・1892年に山辺尋常小学校と改称。

1921年に高等科を併置し、山辺里村立山辺里尋常高等小学校と改称。

・1941年に山辺里村立山辺里国民学校と改称。

・1947年に山辺里村立山辺里小学校と改称。山辺里村立山辺里中学校を併置。

・1951年に山辺里村立山辺里中学校の独立校舎竣工により、併置を解除。

・1954年に町村合併により、村上市立山辺里小学校と改称。

・2011年に村上市立門前谷小学校との統合により、新校舎へ移転。

閉校:-

コメント:

山辺里小学校自体は現役校で、山辺里中学校跡地近くに移転している。旧校舎は街中に位置していて、現在は工場か資材置き場のような形で使われているようだ。体育館とグラウンドは市内のNPO法人が管理していて、運動施設として使えるようになっているらしい。

現校舎は2011年に村上市門前谷小学校と統合し、新校舎に移転している。

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村上市立大栗田小中学校

■学校データ

創立:1892年

・大栗田分校として開校。

・1941年に山辺里村立門前谷国民学校大栗田分校と改称。

・1947年に山辺里村立門前谷小学校大栗田分校と改称。

・1957年に村上市立山辺里中学校大栗田分校を併置。

・1972年に本校から独立し、村上市立大栗田小中学校が開校。

・1982に新校舎竣工。

・1999年に小学校が休校。

・2002年に中学校が休校。

閉校:2002年

コメント:

すごーい山奥。けれど立派な体育館が建てられている。窓にはいまだに「ありがとう大栗田小中学校」という張り紙が残っている。

校舎も残っているが、どうも不自然な修理跡があり、平屋建ての何かがあったような跡が見える。一部が削られたのだろうか。いろいろ探したが、現役時の校舎の様子を見つけることはできなかった。

門柱もしっかり残されていて、グラウンドもそこまで荒れている感じがしない。ゴールデンウィーク中で雪も解けたばかりだからかもしれないが、地元の人の手によりきちんと管理されているのかもしれない…と思ったら、このグラウンドは緊急時のヘリポートとしての役割もあるようだ。

大栗田集落は平成27年の時点で人口8人5世帯とかなり少ない。学校があった時の人口は分からないが、1999年で小学校が休校ということは、この時点で12歳以下の子ども達は山から下りた先の門前谷小学校に通ったことになる。

この先どうなるかわからないが、コンクリート製の学校だけが風化せず残っていくのかもしれない。

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