学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

村上市立門前谷小学校

■学校データ

創立:1875年

・公立門前小学校として開校。同年6月に第八中学区二六番小学山野辺校門前分校と改称。

・1887年に簡易科門前谷小学校と改称。

・1892年に門前谷尋常小学校と改称。

1921年に高等科を併置し、山辺里村立門前谷尋常高等小学校と改称。

・1941年に山辺里村立門前谷国民学校と改称。

・1947年に山辺里村立門前谷小学校と改称。山辺里村立山辺里中学校門前谷分校を併置。

・1954年に町村合併により、村上市立門前谷小学校と改称。

閉校:2011年

コメント:

体育館は現役の市の施設として使われているようだ。正面門近くには警備会社のセキュリティ警告文の看板が掲げられている。が、なぜかここは堂々と玄関近くまで行って写真撮影してきた。まぁ体育館が現役の施設ってわかっていたので、「門柱入った如きで警備会社が飛んでくることはないだろう」という謎の自信を持っていたので、何の抵抗もなかった。

非常に横長な校舎である。これなら3階建てにしてもよかったのではなかろうか。横長な分、後ろのグラウンドもかなり広々している。

グラウンド隅にはプールも残っていたが、よくあるような水が満たされていることはなかった。防水槽代わりに使っている様子はなさそうだ。

グラウンド奥にコンクリート製の階段があり、その先には掲揚塔が2本経っている。割と広いグラウンドなので、運動会の時には児童はひーひー言いながらあそこまで駆けて行ったのだろうか。

ちなみに山辺里中学校の分校が併置していたことは村上市史から知ることができたが、いつ本校に統合したかまでは載っていなかった。

f:id:abolished-school:20200421211101j:plain

続きを読む

村上市立上海府小学校・村上市立上海府中学校

■学校データ

創立:1948年

・上海府村立上海府中学校吉浦校舎と大月校舎を統合し、上海府村立上海府中学校として開校。

・1954年に町村合併により、村上市立上海府中学校と改称。

・1993年に村上市立上海府中学校が閉校。

・1995年に村上市立吉浦小学校と村上市立野潟小学校を統合し、同所在地に村上市立上海府小学校が開校。

閉校:2019年

コメント:

1948年に設立された上海府中学校の跡地をそのまま転用して小学校が誕生した。閉校時点の全児童数は12名だったようだ。

廃校になったばかりの小学校で、建物自体はまだまだきれいだ。廃校となったばかりということもあってか、入り口には某セキュリティ会社の張り紙と「セキュリティ稼働中」の警告文を見つけたため、全く近づくことができなかった。センサーらしきものは見当たらないし、おそらく建物内だけにセンサーがあるのだろうけど、もしものことがあったら怖いので近づくのはあきらめた。なので遠方からの撮影で勘弁してください。

玄関近くに中学校と小学校のそれぞれの閉校記念碑があるようだ。前段の通り近づけなかったので何が書かれているかはわからない。以前野潟小学校の記事でも紹介した上海府地区のホームページでは姿かたちだけは確認できる。

現校舎は中学校の閉校後に建て直されたもので、体育館は中学校閉校前に建てなされたものらしい。

統合小学校が誕生してわずか26年ほどで閉校したのだから、この校舎はとてももったいない。今後の利用が気になるところである。

f:id:abolished-school:20200418111946j:plain

続きを読む

村上市立吉浦小学校

■学校データ

創立:1874年

・公立瀬波校吉浦分校として開校。

1880年に独立し、公立吉浦小学校と改称。

・1883年に吉浦小学校を早川校と吉浦校と二分。

1886年に早川校と吉浦校を統合し、公立吉浦校が開校。

・1887年に簡易科吉浦小学校と改称。

・1892年に吉浦尋常小学校と改称。

1903年に吉浦尋常小学校馬下冬季派出所を設置。

1924年に高等科を併置し、上海府村立吉浦尋常高等小学校と改称。

・1941年に上海府村立吉浦国民学校と改称。

・1947年に上海府村立吉浦小学校と改称。上海府村立上海府中学校吉浦校舎を併置。

・1948年に上海府村立上海府中学校の独立校舎竣工により、併置を解除。

・1954年に町村合併により、村上市立吉浦小学校と改称。

・1969年に馬下冬季分校を廃止。

閉校:1995年

コメント:

現在は体育館だけが残されていて、校舎は解体されている。校舎跡地にはグループホームが新しく建てられている。またグラウンド跡地には子育て支援センター(旧保育園)があり、その目の前には上海府エリア唯一の郵便局があったりと、いろいろ施設が密集している。

体育館隅には「吉浦小学校跡」と書かれた石碑と、沿革と校歌が刻まれた閉校記念碑が残されている。大正15年から平成7年までの歴史がごっそりなくなっているが、その間に中学校が併置されたり冬季分校が廃止になったりとしている。

吉浦小学校閉校後は前回紹介した野潟小学校と統合し、上海府小学校が開校している。(上海府小学校もわずか24年で閉校してしまったが)

f:id:abolished-school:20200414215544j:plain

続きを読む

村上市立野潟小学校

■学校データ

創立:1875年

・公立瀬波校附属野潟校として開校。

・1892年に野潟尋常小学校と改称。

・1902年に校舎新築、移転に伴い、上海府村立大月尋常小学校と改称。

・1926年に高等科を併置し、上海府村立大月尋常高等小学校と改称。

・1941年に上海府村立大月国民学校と改称。

・1947年に上海府村立大月小学校と改称。上海府村立上海府中学校大月校舎を併置。

・1948年に上海府村立上海府中学校の独立校舎竣工により、併置を解除。

・1954年に町村合併により、村上市立大月小学校と改称。

・1960年に現在地に移転し、村上市立野潟小学校と改称。

閉校:1995年

コメント:

跡地は「海府ふれあい広場」と呼ばれる駐車場と休憩所・売店を兼ねた施設へと生まれ変わっていた。しかもこの売店は小学校の一部だったらしい。

駐車場の隅には閉校記念碑があり、校歌と開校・閉校の沿革が刻まれていた。また目の前はすぐ海岸ということもあり、釣りを楽しもうとしている人たちもいた。

自分は釣りをしないのでわからないが、この場所を訪ねたのは朝8時前だったが、割と人はいるもんですね・・・。

なお、探索後に村上市史で調べた時は、どのタイミングで大月小学校から野潟小学校に名前を変えたのか不明だったが、この記事を書き起こす際に再度調べたら旧上海府村地域の地域ホームページができていて、ある程度の歴史を知ることができた。創立当初は野潟集落にあったが、1902年に大月集落に移転、そして1960年にふたたび野潟集落に移ったようだ。(オレモオメモ-上海府地区向上委員会

 こうした地域のホームページの存在はとてもありがたい。というか大月集落にあった大月小学校跡もわずかに残っているらしいので、いずれ訪ねたいところだ。

f:id:abolished-school:20200411121818j:plain

続きを読む

朝日村立高南小学校薦川分校

■学校データ

創立:1892年

・薦川分教場として開校。

・1902年に高根村立黒田尋常小学校薦川分教場と改称。

・1940年に高根村立皇道尋常高等小学校薦川分教場と改称。

・1941年に高根村立皇道国民学校薦川分教場と改称。

・1947年に高根村立高南小学校薦川分校と改称。

・1954年に町村合併により朝日村立高南小学校薦川分校と改称。

閉校:1984

コメント:

跡地には学校の痕跡は見当たらなかったが、一部が公園になっていて、滑り台やブランコが設置されている。

この広場の下に平地があり、ビニールハウスが建てられているが、こっちが学校の跡地だったかもしれない。しかしいずれにしろ痕跡がないからどっちがどっちだかよくわからない。

f:id:abolished-school:20200407215455j:plain

続きを読む