■学校データ
創立:1874年
閉校:2007年
コメント:
校舎は現在、地域の建設会社の事務所兼倉庫になっている。
とはいえ、校舎の半分は建設機械置き場となっており、道路側はきちんとした壁があるが、奥側は骨組みが丸見えになっていた。
なお、近づけなかったので未確認だが、体育館はそのままのようだ。
続きを読む■学校データ
創立:1874年
閉校:2007年
コメント:
校舎は現在、地域の建設会社の事務所兼倉庫になっている。
とはいえ、校舎の半分は建設機械置き場となっており、道路側はきちんとした壁があるが、奥側は骨組みが丸見えになっていた。
なお、近づけなかったので未確認だが、体育館はそのままのようだ。
続きを読む■学校データ
創立:1873年
・仁田村附属校として開校。
・1877年に第六中学区一番小学校附属北山校と改称。
・1946年に真人村立北山小学校と改称。
・1955年に合併により小千谷市立北山小学校と改称。
閉校:1981年
コメント:
学校入り口には門柱が建っているが、校舎自体はすでに解体されている。跡地には閉校記念碑と何故かプールだけが残っている。門柱奥に建っている車庫は後で建てられたもののようだ。
敷地の全貌を取り忘れてしまったが、北側と西側は崖になっているようで、結構怖い場所に建っていたらしい。
かつては真人中学校の北山分校も併設していたが、その痕跡は門柱や閉校記念碑にも記されていない。
ちなみにこの小学校跡がある「北山」という集落は、直江兼続の祖先が住んでいた土地らしく、近くの作業小屋に歴史を記した看板が掲げられていた。
続きを読む■学校データ
創立:1874年
・第6中学区第1番小学校若栃校として開校。
・1947年に真人村立真人中学校若栃分校を併設。
・1968年に真人中学校若栃分校が閉校。北山分校と一緒に本校へ統合。
・1981年に小千谷市立北山小学校と統合。
閉校:2005年
コメント:
現在は小千谷市所有の「若栃民具収蔵庫」として利用されている模様。しかし、それらしい看板などは見あたらない。
校舎正面の右側に体育館があったようだが、今は解体されている。左側はグラウンド。
校舎2階と3階の窓側の一部はベニヤ板が張られているが、1階部分はほぼ塞がれていない。雪害対策であれば普通逆ではないか?おそらく民具の保存が2、3階にあり、日の光を通さないためにそういった整備がされているのであろう。
校舎左側には避難階段がつけられている。この規模の校舎で外側に避難階段があるのは珍しい気がする。
続きを読む■学校データ
創立:1947年
・真人村立真人中学校として開校。同時に若栃地区と北山地区に分校を設置。
・1954年に新校舎へ移転(現在地)。
・1955年に市村合併により小千谷市立真人中学校となる。
・1968年に若栃分校と北山分校を統合。
閉校:1981年
コメント:
まさか、校舎の一部が残っていた。
現在残っているのが校舎のどの当たりに位置するかは分からないが、1976年の航空写真を見ると、体育館脇の物置倉庫のようなものか?残念ながら中の様子は全く見えず、何か農機具などが散乱しているのは見えた。
1963年の航空写真にはこの建物が写っていないので、後からつくられたものらしい。プロパンガスを置くコンクリートボックスもあるので、もしかしたら分校統合後に造られた寄宿舎かもしれない。
この建物の北側に体育館、L字型になるようにして教室棟があった配置らしい。桜の木が生えている当たりがちょうどその建物に該当する。
また、教室棟の北側にも分校の統合後に何かしら建物が造られたのが航空写真でうかがえた。統合による教室棟の拡張か?
続きを読む