学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

佐渡市立大滝小学校

■学校データ

創立:1903年

・羽茂尋常高等小学校大滝分校として開校。

・1941年に羽茂国民学校大滝分校と改称。

・1947年に羽茂村立羽茂小学校大滝分校と改称。

・1950年に独立し、羽茂村立大滝小学校と改称。

・1961年に町制施行し、羽茂町立大滝小学校と改称。

・2004年に市町村合併により、佐渡市立大滝小学校と改称。

閉校:2010年

コメント:

佐渡遠征廃校巡りその1。

GW前半に、小木港から入り、南側の廃校を1日目で周り、2日目に北側を攻略しながら小木港に戻る、1泊2日の突貫旅をしてきた。

南側からと言ったものの、ルートと移動時間を考慮し、旧小木町ではなく、旧羽茂町から攻めていくことに。

まず向かったのは旧羽茂町にある「大滝小学校」へ。現在この建物は地域の交流施設兼郷土資料館「大滝楽舎」として利用されている。伺った日はたまたまなのか、空いていなかった。(空いていたとしても時間がないのでスルーしていたが)

学校の外観はおそらく閉校時のままだと思うが、校舎脇は作業スペース的な改築がされている様子。「ここではコーヒーが飲めません」という謎の看板もあったが、どうやら調べてみると、ここにはコーヒー焙煎を行う工房があるそうで、そのコーヒー自体は別の拠点で提供しているとのこと。

鉄骨ではなく木造に近い校舎と体育館で、歴史もありそうだが閉校記念碑が建立されていないようで、詳しい歴史がわからなかった。(上記の歴史の一部は、過去の市報から情報と想定できる遷移を加えたもので、正確ではない可能性がある)

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吉川町立旭中学校

■学校データ

創立:1947年

・旭村立旭小学校に併設して開校。

・1950年に独立校舎完成。

・1955年に町村合併により吉川町立旭中学校と改称。

・1969年に旭小学校火災のため、一部教室を提供。

閉校:1979年

コメント:

旭小学校にほど近い、というかグラウンドを挟んで反対側にある。

体育館だけが残っており、校舎は解体されている。

現在は地元の農業生産法人かなにかが倉庫や作業場として使っているようだ。写真で見るとトタン張りになっているが、これは最近になって補修したらしい。Googleストリートビューで見ると木造になっている。

トタン張りなので、最初からそういう建物なんだなと思っていたが、よくよく調べると中学校跡ということがわかり、体育館だけ別の日(柿崎区の廃校探索時)に撮影した。

なお、前回投稿した旭小学校の閉校記念碑の近くに中学校の閉校記念碑が建立されている。とっくに解体されたものだと思っていたが、まさか体育館だけ現存しているとは思わなかった。閉校記念碑の裏側を撮影しているとき映っているのに、なぜこのとき疑わなかったのか・・・。

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吉川町立旭小学校

■学校データ

創立:1874年

・第四中学区私立第二十四番小学八幡校として開校。手嶋分校、花ケ崎分校、竹直分校、下条分校を設置。

・1879年に下町校神田町分校と統合。

・1885年に第十中学区第二十四番小学公立明導校と改称。

・1887年に私立準高等小学校である進徳校が開校。

・1892年に組合立旭高等小学校が開校。

1893年に八幡校附属西野島校が独立し、明倫尋常小学校が開校。

・1902年に組合立旭高等小学校が閉校。明導校に高等科を併置し、旭村立旭尋常高等小学校が開校。

・1908年に明倫尋常小学校を統合。

・1941年に旭村立旭国民学校と改称。

・1947年に旭村立旭小学校と改称。旭村立旭中学校を併設。

・1955年に町村合併により吉川町立旭小学校と改称。

・1969年に校舎火災により全焼。旭中学校の校舎の一部を借りて授業。

・1971年に新校舎落成。

閉校:2003年

コメント:

非常に複雑な経緯で開校した学校らしく、「吉川町史」で調べてみると上記のような歴史があったらしいが、はっきりってどの学校が最終的にどうなったのかがよくわからなかった。やはり閉校記念誌を確認しないとわからない・・・。

地理的に見てもこのあたりは平地で、田んぼを周りに囲うように集落が点在しているため、その集落ごとに学校を開校させていたが、中心地である旭小学校跡地に統合校を作ったのだろう。ある意味、勉強熱心だった村らしい。

さて、学校だが、現在は体育館だけが残っている。地域の生涯学習センターとして利用されているらしい。校舎は2010年の空中写真では確認できたので、割と最近解体したのかもしれない。体育館入口の脇にひときわ白いトタン壁があるが、そこから廊下が伸びて校舎に接続されていたようだ。

手前側には校門があり、その近くに閉校記念碑が建立されている。厳密に「旭小学校」が開校したのは明治43年、統合旭尋常高等小学校が基礎となっているが、西暦に直すと1910年である。「吉川町史」で調べたときは旭尋常高等小学校は1902年、または明倫尋常小学校が統合した1908年となる。2~8年もズレがあるのは明らかにおかしいので、何か他の要因があるのかもしれない。

広いグラウンドではあるが、どうやら同じ敷地内にある「旭中学校」と共用していたようだ。旭中学校については別記事にて掲載する。

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吉川町立川谷小中学校

創立:1874年

・第四中学区第二十六番小学校山直海校川谷分校、同石谷分校が開校。

1880年に第二十七番小学附属川谷校と改称。

・1899年に第四十三学区簡易科黒岩小学校川谷分場と改称。

1893年に黒岩小学校から独立。石谷校と統合し、川谷村立川谷尋常小学校が開校。

・1901年に町村合併により源村立川谷尋常小学校と改称。

・1928年に高等科を併置し、源村立川谷尋常高等小学校と改称。

・1941年に源村立川谷国民学校と改称。

・1947年に源村立川谷小学校と改称。源村立源中学校川谷分校を併置。

・1955年に町村合併と源中学校川谷分校の独立により、吉川町立川谷小中学校と改称。

・1970年に新校舎落成。

・1979年に吉川町立川谷中学校が閉校。

閉校:1989年

コメント:

現在は地元生産組合の加工場として利用されているらしい。訪ねたこの日もトラックが数台止まっており、何やら作業が行われていたようで、時折「ガシャン」と大きな鍋が動くような音が聞こえた。(中を覗いたわけではないので、何をしているかはわからないが、味噌や漬物を作っているらしい)

また、吉川地区公民館川谷分館としても利用されているようだ。

校舎と体育館は残っているが、現在残っている校舎は小学校校舎で、校庭を挟んだ対面側に中学校校舎があったらしい。訪ねた時期は雪に覆われていたためわからなかったが、おそらく跡地は何も残っていないだろう。その校舎の横にプールもあったようだ。

玄関棟の横に、その上に登れる階段があり、お邪魔して登らせてもらった。体育館がよく見える。このときに内部から音が聞こえたためビビって退散した。

グラウンドは学校に登る道を挟んだ反対側にあったのだが、雪に覆われているのでよくわからなかった。

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吉川町立勝穂小学校

■学校データ

創立:1874年

・前身となる第六中学区第二十番小学下町校附属泉校が開校。

1884年に前身となる中条尋常小学校が開校。

1893年に附属泉校が泉尋常小学校と改称。

・1894年に泉尋常小学校が後生寺尋常小学校と改称。

・1913年に後生寺尋常小学校と中条尋常小学校が統合し、吉川村立勝穂尋常小学校が開校。

・1941年に吉川村立勝穂国民学校と改称。

・1947年に吉川村立勝穂小学校と改称。

・1955年に町村合併により吉川町立勝穂小学校と改称。

・1968年に頸北地域初のプールが完成。

閉校:1989年

コメント:

立派な木造校舎で、体育館は「吉川地区公民館勝穂分館」として使われているようだ。

グラウンドがとても広く、ゲートボール場のような仕切りも見える。また、錆びた朝礼台も置かれていた。

グラウンドの奥にトーテムポールが建てられていたが、最初はサムネイル用にと撮影をしたが、調べてみるとこのトーテムポルは閉校記念に建てられたようだ。

また、体育館脇にあった池のようなところもなんの気も無しに撮影したが、まさかこれが頸北地域初のプールだったとは思わなかった。プールにしては奥行きが小さく、どうも10メートル程度らしい。プールと言うよりは水遊び場に近いような。

ちなみに小学校の名前の由来を調べたがわからなかった。「勝穂」という集落にあるわけでもなく、合成地名でもなさそうなので、なにか縁がある名前なのだろうか。

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