学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

柿崎町立上中山小学校

■学校データ

創立:1874年

・第四中学区第二十八番小学区上小野校附属中山校として開校。

1880年に第十中学区第二十八番小学区上小野校附属中山校と改称。

・1885年に上中山小学校と改称。

・1889年に黒川村立上中山尋常小学校と改称。

・1908年に黒川村立黒川尋常小学校第一分場と改称。

・1909年に黒川村立黒川第一尋常小学校と改称。

・1934年に黒川村立黒川尋常高等小学校上中山分教場と改称。

・1941年に黒川村立黒川国民学校上中山分教場と改称。

・1947年に黒川村立黒川小学校上中山分校と改称。

・1948年に独立し、黒川村立上中山小学校と改称。

・1955年に町村合併により、柿崎町立上中山小学校と改称。

閉校:2001年

コメント:

校舎などはなくなっているが、記念碑は残されている。

2014年のGoogleMAPをまだ体育館が残っていて、渡り廊下をつないで現在建てられている上中山農産物等加工センターへとつながっていたようだ。ちなみにこの加工センターがあった場所に校舎があった。

調べてみると体育館は平成29年(2017年)7月に入札が行わているので、自分が訪ねた(2018年5月ごろ)半年前に解体されたと思われる。あぁ惜しい。

体育館跡はロープが張られ砂利が敷かれている。グラウンドのあたりは草に覆われ、何かに使われている様子はないが、どうやらドクターヘリのヘリポートとして指定されているようなので、今後はもう少しヘリが止まりやすいように整備するのかもしれない。

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柿崎町立下牧小学校

■学校データ

創立:1874年

・第四中学区第二十八番小学区上小野校附属水野校として開校。

1880年に第十中学区第二十八番小学区上小野校附属水野校と改称。

・1890年に黒川村立水野尋常小学校と改称。

・1908年に黒川村立黒川尋常小学校第二分場と改称。

・1909年に黒川村立黒川第二尋常小学校と改称。

・1934年に黒川村立黒川尋常高等小学校下牧分教場と改称。

・1941年に黒川村立黒川国民学校下牧分教場と改称。

・1947年に黒川村立黒川小学校下牧分教場と改称。

・1948年に本校から独立し、黒川村立下牧小学校と改称。

・1955年に町村合併により、柿崎町立下牧小学校と改称。

閉校:1987年

コメント:

校舎は2014年に解体されたそうで、跡地は「米山」を登るためのベース地として整備しなおされている。現在ある建物は解体後に建てられたもの。伺ったこの日も雪解け後ということもあり、登山客でにぎわっていた。

その登山道入り口には看板があり、かつて通っていた児童によって作られたものだということが書き残されている。校舎解体後に塗りなおされたと記されているが、当時の子供たちが登山客のために作った看板は、いつまでも残されていくものだろう。

なお、あたりを散策したが閉校記念碑のようなものは見つからなかった。

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松代町立北山小学校田代分校

■学校データ

創立:1877年

・仙納校附属田代校として開校。

・1902年に山平村立北山尋常小学校田代分校と改称。

・1941年に山平村立北山国民学校田代分校と改称。

・1947年に山平村立北山小学校田代分校と改称。

・1954年に町村合併により松代町立北山小学校田代分校と改称。

閉校:1975年

コメント:

現在は「柏崎市高柳町田代」という住所になっているが、これは1985年に田代集落は高柳町編入されているからで、それまでは松代町の区域になっていたそうだ。

分校の閉校後、集落の住民は高柳町立門出小学校(当時)への通学を請願し、隣町の学区ではあるが編入が認められたという経緯がある。本校であった北山小学校は山を1つも2つも越えた先にあるため、通学が困難だったと思われる。その分、門出小学校へはほぼ平坦な道(鯖石川ダム竣工に合わせて道も整備されている)が続いているので、子供たちを楽に学校へ通わせたい、そういう思いが強かったのだろう。

学校跡地に建物はなく、後で建てられたであろう倉庫のような建物があるだけだった。しかし、ジャングルジムや国旗掲揚塔、さらにローラー(重いコンダラ)までが放置されていたところをみると、確かにここが学校跡だったことがうかがえる。

ベンチのようなものも置かれているところを見ると、今でも使われている場所だろうというのがうかがえる。

本来は旧松代町の学校なのだが、エリアとしては柏崎市になっているので、ごちゃごちゃになるかもしれないがカテゴリーとして両方入れることとした。

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柏崎市立南鯖石小学校大沢分校

■学校データ

創立:1873年1875年?

・田島校として開校。

・1876年に田島校が分離し、石曾根校、山室校、大沢校が開校。

1921年に南鯖石村立石曾根尋常高等小学校、山室尋常高等小学校、大沢尋常高等小学校と統合し、南鯖石村立南鯖石尋常高等小学校が開校。大沢分教場を設置。

・1941年に南鯖石村立南鯖石国民学校大沢分教場と改称。

・1947年に南鯖石村立南鯖石小学校大沢分校と改称。

・1957年に市町村合併により、柏崎市立南鯖石小学校大沢分校と改称。

閉校:1979年

コメント:

校舎があった場所は現在地区のゲートボール場となっていた。その近くには大沢神社といわれる建物もあり、割と人の出入りはあるようだ。

ちょうど伺った時もご老人が一人ゲートボールの練習をしていた。何もないところで写真を撮っていた自分を不審に思っただろうなぁ・・・。

閉校記念碑のようなものも見当たらないため、学校があったことは把握していたものの正式な名称等がなかなかわからないでいたが、偶然柏崎市の市報で情報をゲットした。それによると閉校時は全校児童30名で、1年生から4年生までが通っていたようだ。この文面だけだと、5・6年生はいなかったのかすでに本校に通っていたのかはわからないが、年々児童数が減少していくなかで、地元民やPTAが本校への統合を望んでいたようだ。

創立年ははっきりと明示されていないが、市報の文面に「百六年の歴史を閉じました」と書いてあったので、逆算して割り出した。1873年となると日本最初の学校制度である学制が公布された年に近いので、非常に教育熱心な地域だったことがうかがえる。

(2019年7月15日追記)

本校である南鯖石小学校の閉校記念誌を見ることができたので歴史を調べてみたが、大本は「大沢尋常高等小学校」だったことが分かったが、南鯖石小学校が設立された時からの歴史しか判明しなかった。

そこで柏崎市史を見てみると、本当の大本である「田島校」というのが明治8年に開校している。するとなると1975年である、2年のずれがある。あれ、おかしいな・・・。

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柏崎市立野田小学校清水谷冬季分校

■学校データ

創立:1912年

・鵜川村立鵜川尋常高等小学校清水谷分校として開校。

・1941年に鵜川村立鵜川国民学校清水谷分校と改称。

・1947年に鵜川村立鵜川小学校清水谷分校と改称。

・1956年に町村合併により黒姫村立鵜川小学校清水谷分校と改称。

・1964年に学区変更により、黒姫村立野田小学校に移管し、黒姫村立野田小学校清水谷分校と改称。

・1968年に市町村合併により柏崎市立野田小学校清水谷分校と改称。

・1971年に清水谷分校を廃し、清水谷冬季分校を設置。

閉校:1980年

コメント:

情報は柏崎市史からのものだが、どうも1912年より前にもあったと思われる。名称が変わっている可能性もあるので、詳しくは野田小学校閉校記念誌か鵜川小学校閉校記念誌を見てみる必要がありそうだ。

校舎は現存しているが何か足りない・・・1976年の空中写真を見るともう半分ほど南側に長かったようなので、校舎か体育館かわからないが半分解体したようだ。この建物は現在集会所になっている。

おそらく移設されたであろう門柱も残っている。そこにはネームプレートも埋め込まれたままだ。名称は冬季分校になる前の「清水谷分校」の名称となっている。

建物脇にはトマソンのようなコンクリート製の階段が付けられいて、上った先には羽目板がついた窓があるだけだ。よく見るとトタンの色が一部違っているので、閉校後かその前かに扉がふさがれたようだ。脇からグラウンドのような広場に出る階段・・・もしかして残っている建物は体育館か?

証拠をつかみたく、玄関から覗いても謎の黄色い旗が見えるだけだった。

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