学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

津南町立寺石小学校

■学校データ

創立:1880年

中魚沼郡十四中学区第十番小学谷内校寺石分校として開校。

閉校:1964年

・宮野原小学校、大井平小学校、寺石小学校が統合して上郷小学校となる。

・ただし、1965年12月に新校舎が竣工されるまで、旧小学校を各校舎として授業が進められた。

コメント:

探索当初それらしき場所が見当たらず、空中写真で見て当たりをつけた場所に行ってみたが、建物はそれっぽいが何か違う感じがした。

ちょうど近所の人と思われる初老の男性がいたので廃校跡を伺ったところ、場所が間違っていたことが判明。でも「もう更地で何も残ってないよ」と言われた。さらにその方から「埼玉県の知り合いに廃校好きなやつがいて、前にも津南の廃校探しに付き合わされたよ」という話を聞いた。

別れたあとにふと気づいた。埼玉在住で廃校を探している人って、もしかして・・・全国の廃村跡を回っているアノ人でしょうか?

・・・ともかく、教えられた場所に行くと広い敷地が待っていた。

すでに校舎は解体され、地元建設会社の資材置き場となっている。閉校記念碑もなく、何かそれらしきものがないか探したところ、道路沿いに門柱と思われる柱を発見。

しかしプレートも文字も見当たらず、本当に門柱かどうかもわからないが、これが唯一の証拠だと思いたい。

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津南町立上田小学校

■学校データ

創立:調査中

閉校:1983年

コメント:

校舎の一部が現存していて、今は農作業小屋として利用されているらしい。

ちょうど作業していた方がいたので許可を頂いて撮影した。傍から見ると古い一般住宅のようにも見えるが、奥の建物は確かに校舎らしい佇まいがある。夕方頃で、ちょうど作業が終わったところのようで、中の撮影できなかった。

奥に向かって校舎が続いていたようだが、奥側は解体され、その跡地は畑となっていた。その畑の隅に廃校記念碑が設置されている。道沿いというわけではない場所になぜ建立したのか・・・。

ちなみにプール跡地も残っていたようだが、畑の中に入って撮影するのは流石に控えた。(後ろから撮った写真の右下にプールのはしごが見える)

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津南町立中津小学校

■学校データ

創立:1874年

・組合存立秋成校として開校。

・1875年に本校を中深見船山に移し、中深見校と改称。

1878年に秋成本村に校舎を新築、秋成校を復称。

・1892年に村立中深見尋常小学校、村立秋成尋常小学校が独立して発足。

・1947年に六三制の新学制が実施され、それぞれ秋成村立秋成小学校、中深見村存立中深見小学校と改称。

・1955年に町村合併により津南町立中津小学校となる。

・1998年に中津小学校大赤沢分校が開校する。

閉校:2015年

コメント:

非常にきれいな校舎だ。車が一台止まっているが、どうやら何かの活動拠点として利用されているらしい。

閉校したばかりということもあってか、グラウンドも草刈りがされていて、地域のイベントなどでも使われているのであろう。

グラウンド側に閉校記念碑があり、その奥にプール跡がある。プールはなんと8コースもある。かなり生徒数が多かったようだ。(プールは1967年に完成している)

校舎奥の山側に傾斜があり、そこが校内スキー場だったようだ。

閉校記念碑を見ると、1994年10月に中津峡小学校統合記念式典が開催されているようだが、中津峡小学校の記録を見ると1992年に閉校している。「広報つなん」を見ると、統合は1993年となっている。統合後に記念式典を開催しているのか?

細かい資料が手元にないため不明だが、町村合併前に秋成小学校と中深見小学校があったが、こちらが「中深見小学校」ということになるのだろうか。(秋成小学校はそのまま秋成小学校として発足したのだろう)

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津南町立中津峡小学校・津南町立中津中学校結東分校

■学校データ

創立:1884年

・民家にて開校。

・1892年に、極僻地のため、義務教育免除地に指定される。

・1932年に現在地に校舎が建設される。

・1935年に義務教育免除地の指定を解除される。

・1955年に町村合併により津南町立秋成小学校結東分校と中津中学校結東分校となる。

・1973年に秋成小学校から独立、津南町中津峡小学校となる。

・1986年に休校となる。

閉校:1992年

・中津中学校結東分校は1966年に閉校。

コメント:

複雑な経緯を持った学校だが、秋山郷の入口部分に近いところだけあって、かなりの山間にある。

ちなみに義務教育免除地とは、あまりの僻地により教育を施すことが困難な土地に対して取られる措置で、教育の恩恵が受けられないということだ。1892年に指定されてからは、私設小学校として集落が運営、地域の有識者を先生として立て、学校教育関係の費用はすべて集落が負担していたとのこと。

地域住民も村の議員や県に義務教育免除地の解除を求め嘆願書を提出し続け、秋山郷への道路が開通するとようやく解除されたようだ。

校舎は閉校した翌年に、「かたくりの宿」という宿泊施設に生まれ変わり、今もなお校舎は生き続けている。

 グラウンドの隅に門柱と「明日を目指して」と書かれたモニュメントがある。この「明日を目指して」は義務教育免除地指定解除30周年を記念して作られたもので、児童が河原で拾った石を埋め込んでいるそうだ。写真は撮れなかったが、モニュメントの裏に「西暦2001年秋分の日に集うことを誓う」と刻まれていて、実際にその日、学校の卒業生や関係者が約100名集まったとのこと。

プールにも不思議なオブジェクトがあるが、これは大地の芸術祭の作品のようだ。

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津南町立秋成小学校

■学校データ

創立:1876年

・中深見小学校見玉分場として開校。

・1929年に私立穴藤小学校が合併。

・1955年に町村合併により津南町立秋成小学校と改称し、独立。

閉校:1980年

コメント:

空中地図では大体の場所を把握していたが入り口が見当たらず、ふと目に入った砂利道を進むと地元の方がいたので訪ねてみたら、ビンゴだった。

跡地に校舎はなく、立派な閉校記念碑が建立されている。開けた場所で、未だに広い土地が残っている。車で侵入した道とは違う入り口に門柱も立っていた。また、その近くの草むらに何かの碑が立っていたが、草がすごすぎて近づけなかった。おそらく閉校記念碑に書かれていた、創立30周年記念の石碑だろう。

もともと分校だった秋成小は独立前から幾つかの分教場や分校があったようだが、記念碑の歴史を見ると、「見玉雪中派出場」「小松原分教場」「見太田校」「横根分校」「結東分校」「大赤沢分校」があったようだ。一部はいつ閉校したかはわからない。

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