学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

関川村立女川中学校

■学校データ

創立:1947年

・女川村立川北小学校に併置して開校。女川村立女川小学校に女川分校を併置。

・1952年に女川村立女川中学校上ノ沢分校を設置。

・1954年に町村合併により、関川村立女川中学校と改称。

・1955年に学区変更により、関川立女川中学校本校が関川村立関谷中学校と統合。女川分校が本校として移管。

・1956年に独立校舎が完成し、移転。

・1958年に関川村立女川中学校上ノ沢分校が関川村立関谷中学校上ノ沢分校として移管。

閉校:2005年

コメント:

体育館だけが残されていて、校舎はすでに解体されているようだ。様子からすると解体されたばかりっぽい(調べると2018年に解体工事が行われた模様。自分が伺う1年前だ)。

校庭の左手側に「光兎学舎」と刻まれた石碑があり、これが閉校記念碑となる。光兎とは、村内にある「光兎山(こうさぎさん、と読む)」という山の名前のようだ。裏には中学校校歌が書かれている。

正面にも石碑があるが、こちらには「克己」と刻まれている。なぜかこれは裏側の撮影をしていなかった。多分創立記念か独立校舎完成記念かの記念碑と思われる。

グラウンド跡地にはソーラーパネルがびっしりと建てられている。これは関川村にあるメガソーラー発電所のうちの一つらしく、この施設だけでパネル出力約700kWを生み出しているらしい。ほかにもソーラーパネルは2か所あり、3か所合わせて約2,700kWの出力があり、一般家庭約700世帯の年間電力消費量に相当するとのこと。2014年冬から稼働開始しているそうだ。

ちなみに校庭に竪穴式住居跡っぽいものがあったが、これは何だろう。校庭の池やそこに立つ石膏像などはわかるが、なぜこれが残っているのだろう。もしかして中学校に関係ないものなのか?

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