学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

寺泊町立山ノ脇小学校

■学校データ

創立:1909年

・大河津村立第二尋常小学校として開校。

・1912年に高等科を併置し、大河津村立山ノ脇尋常高等小学校と改称。

・1941年に大河津村立山ノ脇国民学校と改称。

・1947年に大河津村立山ノ脇小学校と改称。大河津村立大河津中学校山ノ脇分校を併置。

・1954年に大河津村立大河津中学校山ノ脇分校を廃止。

・1957年に町村合併により寺泊町立山ノ脇小学校と改称。

・1975年に現在地に移転。

閉校:2003年

コメント:

学校跡は地域交流施設として使われている。

学校玄関近くには校歌が刻まれた石碑と閉校記念碑があり、閉校記念碑には手形のレリーフが飾られている。閉校時には在校生が35人いたそうだが、手形も35個あるため、在校生全員の手形だと思われる。

学校前の道を通ってグラウンドに行く途中、道の脇に砂利が敷かれた道があるのに気付いた。よく見ると等間隔で木材も置かれている・・・あ、コレ鉄道跡だ。これはかつて越路町から寺泊町までつないでいた「越後交通長岡線」の跡地である。1915年から1975年までの間動いていた鉄道だが、廃線から40年以上経っても、まだバラストと枕木が残っているのがすごい。

ちなみに写真を撮り忘れてしまった(というかすっかり忘れていた)が、移転前の学校跡には二宮金次郎像が田んぼの真ん中に残っているという珍妙な光景が見られる。これは「ナニコレ珍百景」という番組でも取り上げられたとか。

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(1975年の空中写真。赤い○印が山ノ脇小学校で、体育館はこの2年後に竣工している。青い○印が移転前の山ノ脇小学校。左側にグラウンドが見える。出典:国土地理院

 


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