学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

湯沢町立土樽小学校旭原分校

■学校データ

創立:1950年

・土樽村立土樽小学校旭原分校として開校。

・1955年に町村合併により湯沢町立土樽小学校旭原分校と改称。

閉校:1975年

コメント:

跡地には集落センターが建っている。この建物がもともと学校だったのか、後で建てられたのかはよくわからない。開校から70年、廃校から50年近く経っていることを考えると、閉校後に建てられたものかもしれない。

この学校があった旭原という地区は戦後開拓地で、学校自体も戦後に作られている。集落自体は寂れてしまっているが、この奥には「大源太キャニオン」というキャンプ場が整備されている。近年のキャンプブームで多くの人が訪ねてきている。

閉校記念碑のようなものは見当たらなかったが、建物裏の広場の隅に歌碑があり、そこで「学校」という文字を見ることができる。この歌は若山牧水という方が読んだ歌のようで、劣化しているため読み取りづらいが、「山かげは日暮はやきに學校のまだ終らぬか本讀(読)む聲(声)す」と書かれている。これと同じ内容の歌碑が、お隣群馬県みなかみ町の猿ヶ京小学校永井分校跡地にもあるらしい。(今は公民館永井分館となっているそうだ)

この歌は永井分校があった場所で読まれた歌だそうだが、なぜその歌碑がこの地にあるのか、ググってみても性格な答えは見つからなかかった。ただ、この開拓地が50周年を迎えた時に作った記念誌には、ここの開拓者の子孫と知り合った釣り好きの友人が、「ここに学校があったことを示す記念碑を建てておいた方が良い」ということで私財を投じて建てたそうだ。建てられたのは昭和61年(1986年)の6月と、その裏に刻まれている。

(1977年の空中写真。赤い○印が土樽小学校旭原分校。出典:国土地理院

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