学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

越路町立浦小学校

■学校データ

創立:1880年

・外新田校から独立し、浦村校が開校。

・1901年に高等科を併置し、来迎寺村立浦尋常高等小学校と改称。

・1941年に来迎寺村立浦国民学校と改称。

・1947年に来迎寺村立浦小学校と改称。来迎寺村立来迎寺中学校浦分校を併置。

・1948年に統合中学校竣工により、来迎寺中学校浦分校を廃止。

・1955年に町村合併により越路町立浦小学校と改称。

閉校:1969年

コメント:

跡地には地区の事務所と福祉施設が建てられている。古い空中写真から見るに、二つの施設とも廃校後に建てられたものと思われる。

入り口近くには門柱のような柱も残っている。片方には「創立五十周年記念」と刻まれている。もう片方の門柱には「昭和五年十月」という文字が。つまり外新田校から独立した日が創立ということになる。

事務所の近くには二宮金次郎像も残されている。台座には皇紀二千六百年と書かれている。皇紀二千六百年とは1940年である。この年は記念行事が様々行われたようで、おそらくこの時期に二宮金次郎像が建てられたというところも多いのではないかと思う。

ちょうど近くで作業をしていた夫婦がいたのでこの学校のことについて聞こうとしたら「自分たちよりよく知っている人がいる」と、すぐ近くの建設会社の会長を紹介してくださった。

こんなチャンス滅多にねぇ!と普通に自分の名刺を渡して営業モードに移りそうになったが、あくまで廃校調査で来ている立場なので、学校のことについて聞くことにした。が、会長はそれより目の前を流れる信濃川やその運河を利用した木材運びの仕事について語りだした。会社自体は新社屋を建設中とのことだったが、その下には古い井戸があり、歴史あるものだということを教えてくださった。

ああ、学校の話じゃないんですね・・・。でも20分近くためになる話をしてくださいました。

そして最後に、学校の入り口にある門柱のことを話ししたら「もともとは別の場所(少し離れたあたり)にあったが、区画整理の時に俺が移設した」とさらっと話した。いやすげぇ話ぶっこんできた!会長が手をかけなかったら門柱は撤去されていた可能性があったわけだ。会長すばらしいです!

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(1975年の空中写真。中央にあるのが浦小学校。出典:国土地理院

 


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