学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

入広瀬村立横根小学校芋鞘分校

■学校データ

創立:1916年

入広瀬村立横根尋常小学校芋鞘分校として開校。

閉校:1968年

コメント:

まずこの分校の情報がびっくりするほど見つからない。Wikipediaの廃校一覧の中にあっただけでそれ以外の情報が探せなかった。入広瀬村史を見ても芋鞘分校のことがほとんど書かれていなかった。そのため場所の特定も非常に難しかった。

これは現地で聞くしかないととりあえずあたりだけつけて行ってみたが、分校ということもあり本校よりも規模が小さいため、学校がありそうな広い土地やその名残などを探すのは困難だった。

さらに人通りも少なく、住民を探すのにも苦労したが、集落の隅でようやく一人の住人を発見。話を伺った。「神社の近く」「細い道を上がったところ」という話を聞いて該当しそうなところに向かったが、なんか雰囲気が違った。本当にここか?と思ってとりあえず写真を撮って帰ろうとしたが、もう一つ気になる上り口を見つけたので行ってみたら・・・なんか学校があったような雰囲気にある場所だ!

一見、耕作放棄地のように見えるが、1972年の空中写真を見るとここに建物が建ったいたことが確認できた。また、住民の言っていた神社の近くで細い道を上がったところというのも一致する。目の前に住宅があるが人のいる気配がないので確認できないが、ほぼここで間違いないだろう。(と言って間違っていたらめちゃくちゃ恥ずかしい)

1976年の空中写真では赤い屋根の建物が見えるが、1967年の空中写真を見るともう少し縦に長かったようだ。何のためかは分からないが、どうやら閉校後に一部を解体したようだ。

 実はこの場所、ここに来る前から空中写真で候補として考えていた場所だった。しかし地元住民からの話を聞いて「あれ、違った?」と思ってすっかり忘れてしまっていたのだ。

近くに防火水槽があるのだが、最初はプールかと思っていた。よくよく考えるとこんな深そうなプールはないか。でも1967年の空中写真ではこの防火水槽が確認できたので、そんな古くから設置されているものとは思わなかった。ちなみに防火水槽の耐用年数は一般的に30年らしい。これが当初からのものだとしたらもうかなりアカンと思うのですが。

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(1976年の空中写真。写真中央にあるのが横根小学校芋鞘分校と思われる建物。出典:国土地理院

 


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