学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

上越市立岡沢小学校

■学校データ

創立:1873年

・第八大学区第五中学区第五小学区二本木小学校分教場として開校。

・1877年に独立し、岡沢校と改称。

1893年に矢代村立岡沢尋常小学校と改称。

・1914年に矢代村第二尋常小学校岡沢分教場と改組。

・1941年に矢代村立第二国民学校岡沢分教場と改称。

・1947年に矢代村立第二小学校岡沢分校と改称。

・1954年10月に矢代村立岡沢小学校と改称。同年11月に市町村合併により新井市立岡沢小学校と改称。

・1956年に境界変更により中郷村立岡沢小学校と改称。

・2005年に市町村合併により上越市立岡沢小学校と改称。

閉校:2005年

コメント:

2005年1月1日に合併により上越市の小学校となるが、そのわずか3か月後に中郷小学校と統合することになったため、「上越市立」となった期間はとても短かった。そのせいか、学校入り口の校名プレートは「岡沢小学校」と書かれたものしかなかった。あれ、そもそも「中郷村立」すら書かれていないじゃないか・・・。

岡沢小学校がある地域はもともと新井市に属していたようだ。新井市側とは地続きではあるが、直線距離で見れば中郷村の中心地である二本木に近いようだ。むしろ矢代村時代の時も矢代村の中心(矢代小学校付近)からも遠いみたいだ。

中郷村とは丘陵と川に挟まれてはいるが、道もつながっていたようなので、集落の人たちは立地的な近さを選んだのだろう。

学校は2階建てで、校舎の屋上に半円状の細長い部屋が設けられているのが面白い。ここは何のスペースだったのだろうか。

グラウンドは芝刈り機が通ったような跡があるので、今も定期的に整備されているようだ。避難所も兼ねているようだし、グラウンドもかなり広い。今でも運動施設として使われているのかもしれない。

学校入り口近くに閉校記念碑と校歌碑、そして二宮金次郎像が建っている。二宮氏は足元をかなりがっちりと固められているようだ。もしかして一回もげたか?ちなみに閉校記念碑等が建っているところの土台には、最後の児童たちの手形が残されている。

閉校から17年が経とうとしているが、当時小学1年生だった子も24歳となっている。この子たちは今どうしているだろうか。

写真を撮っているときに遠くで甲高いマフラー音を鳴らす車が通っていったようだが、ここに残っている手形の誰かじゃあるまいよな・・・そう信じたい。

(1976年の空中写真。中央にあるのが岡沢小学校。出典:国土地理院

 


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