■学校データ
創立:1948年
・1954年に新潟県立長岡農業高等学校定時制種苧原分校と改称。
・1974年に定時制農業科を停止し、全日制農業科を設置。
・1977年に新校舎竣工。
・1986年に農業科の募集を停止し、普通科を設置。
・2004年に中越地震被災により本校で授業開始。
閉校:2006年
コメント:
中越地震発生後に閉校した学校である。中越地震がきかっけかと思いきや、2004年にはすでに募集を停止していたようなので、地震がなくとも閉校する運命にあったらしい。中越地震により生徒たちは本校で授業を受けたそうだが、閉校前には戻れたのだろうか。そのような記事は見当たらなかったが、わざわざ本校に行くほどなので、学校自体はかなりダメージを負っていたのかもしれない。
当の学校はそのまま残っていて、地震でどこか崩れているといった様子はないが、錆びた体育館の屋根が痛々しく見える。
もともと農業科だったり山古志という土地柄だったりするからか、校舎自体はそれほど大きくない。現在の校舎は1977年に竣工されたようなので全日制農業科に移行した後になる。新校舎の移転前は1975年の空中写真を見ると種苧原中学校の裏側にあったようだ。
写真には撮らなかったが、分校のグラウンドは現在公園として整備されている。校舎近くには別のコンクリート製の建物があるが、これは新校舎竣工前からあるものなので、おそらく種苧原中学校に関係していた建物のようだ。
(2004年の空中写真。中越地震発生から5日後の写真である。中央にあるのが長岡農業高等学校山古志分校。その少し左下にあるのは種苧原小学校。出典:国土地理院)
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