学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

両津市立内海府小学校虫崎分校

■学校データ

創立:1885年

・第九中学区公立第八番小学白瀬校附属虫崎校として開校。

・1941年に内海府村立内海府国民学校虫崎分校と改称。

・1947年に内海府村立内海府小学校虫崎分教場と改称。内海府村立内海府中学校虫崎分校を併置。

・1954年に町村合併により両津市立内海府小学校虫崎分校と改称。

・1957年に現在地に移転。

閉校:1983年

コメント:

今でも木造の校舎が残っていて、内外部ともにボロボロだが、それでも形を保っているのはすごい。(残っている理由は後述)今残っている部分は体育館跡らしい。教室棟などはあったらしいが、どうやら解体された模様。

集落の人の大半(全集落17人中14人)が高齢者だが、2017年の夏に、集落の人達が奮起して100人規模の人を集める盆踊りをここで開催して有名になったとか。地域の人達だけではなくプロジェクトチームを作って若手も手伝ったそうで、この校舎跡にも人を入れるため床や壁などの一部を張り替えたらしい。廃校から33年間手付かずだったのでツタが這っていたり木が腐っていたりとボロボロだったようだ。よくここまで持ち直したもんだ。

分校入り口には門柱も残っているが、その門柱に続く階段がかなり急だった。(車で登れる回り道ももちろんあるのだが)

門柱の隣には小型の船があり、板でかさ上げされ、さらに会談が増設されている。集落でも小高いところなので、見晴らし台として整備されたらしい。ここから見る日本海は美しい・・・逆光になってしまったが。

分校横は墓場となっていて、普段から集落の人たちはこの学校跡を見かけることが多かったのだろう。この盆踊りプロジェクトがなかったらこの建物はなかったのかもしれない。

虫崎分校の歴史について調べているがなかなかいい文献に出会えず、小学校の方の歴史は内海府小学校のHPにあったので一部引用させてもらったが、中学校の方は不明なままである。いつ頃中学校の併置がなくなったかもわからない。

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