学舎の記憶|廃校を旅するブログ|

誰しもが記憶に残している「まなびや」の形、歴史を記します

阿賀町立鹿瀬小学校

■学校データ

創立:1874年

・津川校鹿瀬分校として開校。

・1947年に両鹿瀬村立鹿瀬小学校と改称。

・1955年に町村合併により鹿実谷村立鹿瀬小学校と改称。

・1956年に町制施行により鹿瀬町鹿瀬小学校と改称。

・2005年に町村合併により阿賀町立鹿瀬小学校と改称。

閉校:2019年

コメント:

鹿瀬町の町史が見つからないため、詳細な歴史がまだわかっていない。

とても立派な小学校校舎である。入り口には学校名が書かれた石碑が2つ、門柱の代わりに建っている。閉校記念碑は見当たらない。

学校の敷地の横を磐越西線が通っている。写真では撮っていないが、阿賀野川を通る鉄橋には珍しい歩行者用の通路があるという。まあどうでもいいが。

2019年の閉校をもって旧鹿瀬町の小学校はすべて無くなってしまった。かつては11,000人を超える人口があったものの、阿賀町への合併時は3,000人弱にまで減ってしまっている(合併直前の4町村では一番人口が少なかった)。閉校時は全校生徒40人ほどだったそうだ。

(1976年の空中写真。中央にあるのが鹿瀬小学校。現在の校舎のひとつ前の旧校舎である。左側にある巨大な建物は昭和電工(現、新潟昭和)。出典:国土地理院

 


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